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「ヘイト」から始まる植民地主義―海からガザを目指した韓国アクティビストたちとイスラエルの暴力

ソウルでインタビューに応じるドンヒョンさん(左)とヘチョさん。(安田菜津紀撮影)
※本記事には暴行や性加害に関する証言が含まれます。ご注意ください。

2026年春、パレスチナ・ガザ地区に対するイスラエルの不法な封鎖、占領が続く中、歴史上最大規模となる「グローバル・スムード船団(Global Sumud Flotilla)」のミッションが敢行された。世界100カ国以上から集まった3,000名を超える市民や医療従事者、そして70隻以上の民間船が地中海に集結。バルセロナやマルセイユ、シチリアなどの港から、封鎖に苦しむ人々へ人道支援物資を届けるべく、ガザ沖へと舵を切った。

しかし、この非暴力ミッションを待ち受けていたのは、国際法を無視した国家権力による排除だった。同年5月18日から20日にかけて、軍事占領を継続するイスラエル海軍が、国際海域(公海)上において船団を不当に拿捕した。銃口を突きつけられ、身体を拘束された活動家たちは、監獄船へと強制的に監禁され、暴力に晒された。

キム・アヒョン(活動名:ヘチョ)さんとキム・ドンヒョンさんは、韓国からこの船団に加わり、過酷な監禁と暴力を受けた。5月22日に韓国へ帰国したふたりは、5月28日にはソウル市内で記者会見を開き、イスラエルによる暴挙を告発した。

その後の6月14日、ソウル市内で話を伺った。



パレスチナへの関心と活動の原点

──そもそもパレスチナで起きていることに関心を寄せるようになったのは、どういったきっかけだったのでしょうか。

ヘチョ: 私の原点は、初めて平和活動に関わった済州島(チェジュド)江汀(カンジョン)村での海軍基地反対運動です。そこから沖縄や台湾などの「孤立した島々」を船で巡り、人々の声を結びつける連帯運動を展開する中で、「今、世界で最も孤立させられている場所はガザだ」と確信しました。それは、私たちが島々でやってきた活動と完全に地続きのテーマだったのです。

2025年、支援船団「Thousand Madleens to Gaza(ガザへの1000人のマドレーン/以下TMTG)」の一般クルーとして初航海に臨み、帰国後にTMTG韓国支部を設立しました。

2026年は複数の船団による合同航海が予定されていましたが、TMTG単独の航海が中断されたため、私たちは諦めず自前の船を維持し、自由船団連合(FFC)に所属する形でグローバル・スムード船団に直接合流しました。組織の所属に大きな意味はなく、すべては「ひとつの船団」として海を渡るために繋がっているのです。

ドンヒョン:2023年のハマスによるイスラエル領への攻撃以前、パレスチナは名前を知る程度の認識でした。しかしその後のイスラエルによる大量虐殺を前に、「ニュース報道を消費しているだけでは本質を理解できない」と強い危機感を抱き、国内で2週間ごとに開催される連帯集会に通い、歴史や構造を学び始めました。

昨年、ヘチョさんがTMTGに参加した姿を見て、それまで想像もしなかった「直接行動」という不服従の形に激しい衝撃を受け、自ら船に乗る決意を固めました。

ソウル市内で開かれたパレスチナへの連帯を示すデモに参加するヘチョさん。(安田菜津紀撮影)



直接行動への決意

──イスラエルは国際法を無視した暴力行為を行います。船団に加わるということは大変な危険を伴うことで、簡単な決断ではなかったと思います。それでも参加された理由や動機について教えてください。

ヘチョ:理由は無数にありますが、江汀村での活動を通じて、巨大な国家暴力に対抗するには言葉だけでなく「直接行動」がいかに重要かを身をもって痛感していたことが大きいです。東アジアの平和共同体を築く上でも、現場に赴く直接行動は、強力で本質的な力だと信じています。

私にとって船で海上封鎖に抵抗する行為は、これまでの船乗りとしての経験があったからこそ選択できた不服従の形です。多大なリスクを前にした「悲壮な決意」というよりは、自らの人生の選択や経験が積み重なって自然に導き出された、「必然的なプロセス」でした。

ドンヒョン:私は、安全な場所からの連帯以上に、この虐殺を止めるために「何ができるのか」と考えたとき、それが最善の方法でなくとも、自分にできる直接行動があるなら「選択しなければならない」という強い思いがありました。海に出る前のリスクや拘束への恐怖は熟考していましたし、地中海での準備中も、仲間たちの間で激しい議論が交わされていました。

しかし、このミッションは成否だけが重要なのではありません。ガザへ向けて船を出し、国家の不条理に抵抗を試みるプロセス自体を世界に共有し伝えることができるなら、それだけで行く価値があると考えたのです。

私はヘチョさんのように、人生の自然な流れでここに辿り着いたわけではありません。私にとってこの航海は、直面していた社会運動への無力感に対し、答えを導き出すための、極めて主体的な思想的プロセスでした。それまでは大学院で論文を執筆しながら、「自分の言葉や理論は、本当にこの凄惨な世界を1ミリでも変えられるのだろうか」という深い葛藤の中にいました。

今振り返っても、これが最も完璧な選択だったかは分かりません。しかし、巨大な暴力を前にただ沈黙し、無力感に身を任せるよりは、自らの身体を抵抗の現場に置くべきだと考えたのです。その選択に、私は一点の悔いもありません。

ドンヒョンさん。(佐藤慧撮影)



拿捕、そして過酷な拘束・拷問

──5月18日にドンヒョンさんの乗船していた『キリアコス・エグゼ』が、そして20日にはヘチョさんの乗っていた『リナ・アル=ナブルシ』がイスラエル軍により拿捕されました。その後の監禁、暴力など、深いトラウマとなるようなできごとだったと思いますが、ご無理のない範囲で当時の様子をお聞かせください。

ドンヒョン:イスラエル軍は暴力を隠蔽しやすい夜間に襲撃すると聞いていましたが、実際に襲撃されたのは「朝」でした。高速ゴムボート群に包囲された私たちの船に、兵士らが強行突入し、「船長は誰だ!」と激しく威嚇してきたのです。しかし、特定の人物への集中暴行を防ぐため、「誰が船長かは絶対に答えない」という鉄則を、私たちは共有していました。

口を閉ざす私たちに対し、兵士らは即座に実力行使に出ました。全員が床に押し伏せられ、後ろ手で結束バンドを血が止まるほどきつく締め上げられる拷問を受けました。抵抗していない仲間への殴打やテーザーガンが飛び交う中、私たちは衣服や財布、携帯電話、そしてパスポートを強奪され、監獄仕様の船舶へ強制移乗させられたのです。

その後、イスラエル軍は証拠隠滅のため、私たちの船の船体に穴を開けて公海上に沈めました(※)。拘束されたのは、船内に特設された計6個のコンテナ監獄でした。日中は直射日光で猛烈に暑く、一度も処理されない簡易トイレ12個から凄まじい悪臭が充満する不潔な環境です。支給されるのは水と賞味期限切れのようなパンのみです。

(※)イスラエルによる不当な拿捕や爆破して沈没させるなどの行為は、2026年5月20日の韓国の国務会議でも法的根拠が問題視されている。

私たちは不法な拿捕と拘禁に抗議し、約80人でハンガーストライキを敢行しました。時間も現在地もわからない中、鉄条網の上からは銃を構えた兵士が絶えず監視し、要求を伝えるたびに銃口を向けられました。実際に放たれたゴム弾により、私の友人は太ももに重傷を負いました。

夜は非常に冷え込みますが、上着を奪われ、Tシャツとズボンだけの身体には過酷でした。狭いコンテナ6個に、約120人が詰め込まれ、寝る場所もなく、交代で立ち続け、寝る際も膝を抱え込むしかありませんでした。

水砲やゴム弾などでの威嚇などを受けながら2日を過ごした後、最終的にイスラエルのアシュドッド港に到着しましたが、そこでも私たちはコンテナに閉じ込められたままでした。

ヘチョ:私たちの船はミッションの「最後の一隻」だったためか、凄惨な「集団暴行」を受けました。男性クルーのほぼ全員がテーザーガンで撃たれ、女性クルーのほぼ全員が顔面を殴打されて青あざを作り、私自身も左頭部を激しく殴られて鼓膜を損傷しました。

さらに深刻だったのは、監獄船へ連行された女性クルーへの性暴力です。全裸にされる不当な身体検査に始まり、執拗な性的侮辱やハラスメントが繰り返されました。私が直接の被害を免れたのは、彼らの根底にある強烈な人種差別意識が関係しているかもしれません。西洋系やアラブ系の女性たちは例外なく凄惨な被害(※)に晒されていました。密閉された暗闇のコンテナの中で、壁越しに響き渡る女性たちの「やめろ」「助けてくれ」という悲鳴を、ただ息を潜めて聞き続ける時間は、肉体的暴力に匹敵する精神的拷問でした。

(※)「グローバル・スムード船団」の公式プレスリリースでは、ヒジャブ(イスラム教徒の宗教的な頭巾)の強制的な剥奪、裸体検査、性的嘲弄、性器への接触、および少なくとも12件の深刻な性暴力(拳銃による脅迫を用いたレイプを含む)の証言などが報告されており、「これは、イスラエル政権が数十年にわたりパレスチナの人々に対して行ってきた組織的な暴力と性的虐待のパターンのほんの一部を反映しているに過ぎない」と述べられている。

ドンヒョン:アシュドッド港に到着後、私たちは監獄船から降ろされ、港に設置された巨大なテントの前に一列に並ばされました。連れ出される際、激しく抵抗した主導的なクルーには見せしめのリンチが加えられ、外から仲間たちの泣き叫ぶ声が何度も響いていました。

私自身も名前を呼ばれて外に出された瞬間、後ろ手に縛られた腕を根元から強制的に跳ね上げられ、頭を地面に擦り付けられる、屈辱的で激痛を伴う姿勢を強いられました。「動いたらただでは済まない」と銃口を突きつけられ、視界を遮られたまま並ばされたのです。

後から知ったことですが、彼らはそのときの私たちの無抵抗で無残な姿を、極右政権の政治家や現地メディアの「勝利のプロパガンダ」としてカメラで撮影していました(※)。女性たちの悲鳴が聞こえる中、私たちは動くことも許されませんでした。それは「拷問」そのものでした。

(※)イスラエルのイタマール・ベン=グヴィル国家安全保障相がX(旧Twitter)に投稿した動画のスクリーンショットには、ガザに向かう支援船団に乗船していた活動家たちが、両手を後ろ手に縛られてひざまずいている様子が映っていた。

左からドンヒョンさん、ヘチョさん、通訳の曺美樹さん。(佐藤慧撮影)



旅券無効化措置と国際社会の責務

──船団への参加に際して、ヘチョさんのパスポートの無効措置が取られたそうですが……。

ヘチョ:帰国後、韓国政府外交部は「二度とガザに行かないという誓約書にサインをすれば旅券を再交付する」と持ちかけてきましたが、私は断固拒否しました。人道支援の正当性と、移動の自由という基本的人権を国家に制限される筋合いはないからです。

この不当な旅券剥奪に対し、処分の取り消しを求める行政訴訟を提起(※) しました。国家の不条理と徹底的に戦う責任があると感じています。

(※) 船団に参加することを公表していたヘチョさんに対し、韓国政府外交部は4月4日、海外滞在中の彼女の旅券を強制無効化する異例の措置を断行した。イスラエルにパスポートを奪われたのちに帰国したヘチョさんは、「人道支援の正当性と移動の自由を守る」として、再交付の条件だったガザ渡航禁止の誓約書署名を拒否。政府の不条理な人権侵害を訴え、6月25日に処分の取り消しを求める行政訴訟の第1回弁論が開始された。

──韓国政府を含め、国際社会はイスラエルに対してどのような働きかけが必要でしょうか?

ヘチョ:国際社会が取るべき態度はシンプルです。イスラエルに対する経済的、軍事的、外交的な協力を即座に「中断」すること。市民社会からはすでに韓国政府への要求案を出しています。

具体的には、韓国石油公社などの公企業が、イスラエルのためにパレスチナの天然資源を強奪・搾取するスキームへの加担を停止すること、そしてジェノサイド兵器を支援している企業との武器取引を、全面的に停止することなどです。マレーシアのように完全に国交を断絶し、国際法に基づき、戦争犯罪人であるネタニヤフ氏の入国時の逮捕などを実践するフェーズへ進まなければなりません。



植民地主義の歴史的交差

──イスラエルが現在行っている国際法違反の占領や隔離、虐殺は、植民地主義という点でも、過去に日本軍が朝鮮半島で行ってきたことに通じる部分もあるのではないでしょうか?

ヘチョ:私たちが船団のミッションの中で掲げていた「パレスチナの解放は、私たちすべての解放である」というスローガンは、まさに韓国を生きる人々にとって、歴史的な経験から最も深く理解し、共感できる言葉であるはずです。

私自身は、過去の「日本軍による植民地支配」の暗黒時代を直接経験した世代ではなく、証言や文献を通じて、歴史として学んできた世代です。しかし、今回ガザの封鎖と軍事占領の現場に直面したとき、私が目の当たりにしたのは、まさに教科書にあった「植民地主義」そのものの生々しい姿でした。

それは、特定の人々を人間とみなさない極めて単純な「ヘイト」から始まります。過去の日本による植民地支配と現在のイスラエルの占領は、具体的な手法や時代背景こそ違えど、戦争を手段とし、他者の土地と尊厳を強奪する構造という意味において、その根底で機能している原理は同一のものだと感じます。

ですので、もし私たちが「パレスチナの問題は遠い国の出来事だから関係がない」と目を背けるのだとすれば、それは「パレスチナが遠い」からではなく、自分たちの足元にある植民地支配の歴史や、そこから続く現在の構造的な問題を、本当の意味で直視し、理解していないということではないでしょうか。



生き方の「慣性」を変化させていく

──このような活動を行う中で、圧倒的な力の格差の前に、無力感を感じることはないのでしょうか?

ヘチョ:私は、その無力感自体が、結果や効率ばかりを追い求める「資本主義(成果主義)の方式」に思考が制限されている証拠だと考えます。なぜなら生というものは結果の予測ができるものではなく、その瞬間を「成功か失敗か」と切り分けて裁くことなどできないからです。

世界も平和も、本来は計算不可能なものです。永続的な成功を求める資本の論理から抜け出し、一瞬一瞬の「抵抗の連帯」に集中すべきです。

ドンヒョン:ヘチョさんが言う通り、平和や抵抗の本質は永続的ではなく、一時的な繋がりの連続です。私たちも、24時間休みなく戦い続けることはできません。だからこそ、パレスチナのことを考えていない「日常の時間」をどう変革するかが、無力感を超える鍵になるのではないでしょうか。

成功や失敗ですぐさま白黒つけずに、本や映像に触れるだけでなく、言葉を交わせる仲間とリアルに出会うことで、これまでの生き方の「慣性」を変化させていく。それこそが、無力感を克服するための、具体的な実践だと思います。

ヘチョさんは今、自身のパスポート再発行のための訴訟を続けている。(佐藤慧撮影)

Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト / ライター佐藤慧Kei Sato

1982年岩手県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の代表。世界を変えるのはシステムではなく人間の精神的な成長であると信じ、紛争、貧困の問題、人間の思想とその可能性を追う。言葉と写真を駆使し、国籍−人種−宗教を超えて、人と人との心の繋がりを探求する。アフリカや中東、東ティモールなどを取材。東日本大震災以降、継続的に被災地の取材も行っている。著書に『しあわせの牛乳』(ポプラ社)、同書で第2回児童文芸ノンフィクション文学賞、『10分後に自分の世界が広がる手紙』〔全3巻〕(東洋館出版社)で第8回児童ペン賞ノンフィクション賞など受賞。

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