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「尊い犠牲」という言葉で覆われるもの―沖縄戦と地続きの「今」を伝える

段ボールを切り抜いた手作りのプラカードには、力強い字体でこうつづられている。
「基地は危地」
「抑止はユクシ(うそだ)」
現在98歳の儀間昭男さんは、辺野古の米軍新基地建設に反対する週に一度のスタンディングに、体調が許す限り、このプラカードを持ち参加している。
Contents 目次
鉄血勤皇隊での豪堀りと敗戦の気配
儀間さんは1927年、現在の那覇市安里で生まれ、同地で育ってきた。沖縄戦が本格化する前から、日本軍の「劣勢」を感じていたという。
「近所では避難用として庭に穴を掘って畳をかぶせたりしていましたが、爆撃になったら役に立たないわけです。焼夷弾が落ちてきたら、水に浸した“むしろ”をかぶせて火を消せと言われていましたが、いざとなったら歯が立たない。いつの間にかそんな『防火訓練』もなくなっていました。到底勝てない、ということだったのでしょう」
1942年、沖縄師範学校に入学するも、勉強した記憶はほぼない。1945年3月末、少年兵部隊である鉄血勤皇隊として動員された。
「鉄血勤皇隊という名前は仰々しいですが、いうなれば壕堀りですよ。毎日ずっと」
避難壕「留魂壕」から、約300メートル離れた第32軍司令部壕を掘るよう命じられていたが、日々の移動も命がけだった。
「壕から壕の間は遮蔽物がほとんどありませんでした。上を戦闘機が飛んで、いつ狙われるかも分からない。作業としては、兵隊がつるはしで固い土壌を崩して、私たちはトロッコに乗せてそれを捨てに行くんです。その外が危険。中の方が仕事はきつくても安全でした」
やがて軍は「南部撤退」することになるが、すでに南へ避難していたおびただしい数の住民たちが、激しい戦闘で命を奪われることになる。
「ずっと首里での壕堀り作業だったので、摩文仁に移動するときになって、初めて他の地域の様子が分かりました。道路に死人が散らばって、『殺してくれ』と叫ぶ人もいました」
数十名が入れるガマ(琉球石灰岩などの洞窟)を転々とした後、「めいめい動け」と、命令系統もなく放り出される。「負けるのは決まっている」と、改めて悟った。
両親は疎開先の九州で病死し、軍司令部に務めていた姉は、どこで亡くなったのかも分からない。遺骨も家族の元に戻っていない。
「戦争が終わってからも大変でしたよ。米軍のチリ捨て場に捨てられたチョコレートが珍しくて、拾って食べました」
軍が「撤退」していった本島南部で、さとうきび畑が焼け野原になるのを目の当たりにしてきた。だからこそ、プラカードに綴った言葉には並々ならぬ思いを込めている。

儀間さんは今も毎週このプラカードを携え路上のスタンディングに参加している。(安田菜津紀撮影)
続く遺骨収集、推し進められる埋め立て
その激戦地であった南部では、今なお、戦没者遺骨の収集活動が続く。
6月23日の「沖縄慰霊の日」を前に、戦没者遺骨の収集を続けてきたガマフヤーの具志堅隆松さんが、沖縄県庁前にテントを張り、ハンガーストライキを行っていた。遺骨の混じった南部土砂を、辺野古の基地建設に使わせないための抗議活動だ。
具志堅さん自身は、基地建設そのものに反対の立場だが、埋め立てに南部の土砂が投入されるとなれば、なおさら「死者への冒涜だ」と憤る。「慰霊の日」当日は、追悼式典が行われる摩文仁・平和祈念公園で、遺族へのDNA鑑定の申請を呼びかけながら、ハンストを継続した。
そんな具志堅さんらの活動に、「本土」から加わったひとりが、向山富士子さんだ。向山さんの叔父で、母の兄である笹木政五郎さんは、沖縄戦当時、日本兵として首里近くで亡くなったとされるが、遺骨は見つかっていない。戦没者の名を刻んだ公園内の「平和の礎」には、青森出身者の碑に、笹木さんも刻銘されている。
「政府はなぜ南部土砂を使わないとはっきり表明しないのか。それが許せないんです。冗談じゃない、という意思表示をしたくて、ここに参加しています」
母からよく、叔父の話を聞いていた。年が7つ離れていたので、とてもかわいがってもらった、ハーモニカが上手だった、と──。一方、県外から派兵されてきた日本軍は、住民をスパイ扱いして殺害したり、避難していた住民をガマから追いやるなど、加害の歴史を背負っている。「遺族」として声をあげることに躊躇もあった。
「日本軍が沖縄で何をしてきたのかは知っていましたし、(沖縄の人に)石を投げられても致し方がないのではと思うこともありました。母にとってはいい兄だったとしても、戦争は人間性を変えてしまう恐さがあります。それでも、現在進んでいる軍拡、戦争準備を前に、黙っていることはできないと思いました」

笹木政五郎さんの遺影を抱く向山富士子さん。(安田菜津紀撮影)
「尊い犠牲」という言葉で覆われるもの
糸満市摩文仁の平和祈念公園の内外では、制服姿の警官たちが絶えず会場周辺を行きかい、式典の時間が近づくにつれ、辺りは物々しい雰囲気となった。高市早苗首相にとってはこの日が、首相就任後初の沖縄訪問だった。追悼式のあいさつではこう述べている。
「国を、家族を守ろうと戦って斃れた若者たち、我が子の無事を願いながら息絶えたお父様・お母様」
「今日私たちが享受している平和と繁栄は、この地で命を落とされた方々の尊い犠牲と、沖縄の歩んだ筆舌に尽くし難い苦難の歴史の上に築かれたものです」
しかし「国を守ろうと戦った」という言葉からは、「国体護持」という大義のもと、本土決戦への時間稼ぎのために「捨て石」扱いされた沖縄の実相は見えてこない。日本兵に惨殺された住民や、「集団自決」(集団強制死)で犠牲になった人々の姿も不可視化されている。なぜその命は奪われていったのか、国が犠牲を生み出した責任はどこへ行ったのか──。そうした問いが、このあいさつの中では宙に浮いたまま、「尊い犠牲」という言葉で覆われていた。
会場では高市首相に対し、「戦争反対」「憲法9条守れ」などと怒声をあげた人々が、両脇をスタッフに抱えられ、次々と外に連れ出されていった。そのひとりがこう訴えた。
「ウチナーンチュばかりに背負わせるな。ここにいるヤマトゥンチュが声をあげろ」

犠牲者の名前が刻銘された「平和の礎」を訪れる人々。(安田菜津紀撮影)
構造的な問題を掘り下げる教育の必要性
辺野古沖では3月、小型船2隻が転覆し、修学旅行中の高校生と、操船していた船長の2名が亡くなっている。船を運航していた団体や学校も含め、徹底した検証を行い、生徒や保護者ら関係者のケア、再発防止に努めなければならない事故だ。
一方、文科省はその後、「総合的に勘案」した結果、同校の教育が、政治的中立性を定めた教育基本法に違反するとの見解を示した。同法14条2項《法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない》に反しているというが、どこまでの学習内容を、どのように「総合的に勘案」のかが曖昧だ。かつ、「安全性」の議論と「中立性」の議論は異なるものだ。
平和学習の実践を続けてきた、沖縄県教職員組合島尻支部特別執行委員の下地史彦さんが取材に応じてくれた。
教育基本法16条は、《教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの》と定めている。その「不当な支配」が行われていたのが、戦前の教育統制だった。
下地さんは「事故は絶対にあってはならないこと」と強調した上で、平和学習自体が委縮してはならないと語る。
「文科省の見解自体が、教育基本法の精神に反していると思います。安全を求めるのは当然ですが、現場を見せる平和学習を今後二度と行わない、ということは違います」
下地さんは以前から、形骸化してしまう平和学習のあり方に問題提起を続けてきた。
たとえばこうしたケースがあった。ある小学校で、アニメ「対馬丸」を全校で視聴した。対馬丸は米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没し、疎開を試みていた約800人の子どもたちを含め、判明しているだけで1500人近くが犠牲になったとされる。ビデオを視聴した日、父親が米軍の海兵隊員だった男子児童に対し、高学年児童が銃を撃つ真似をしながらこう言った。「ヤンキー、ゴーホーム!」。その後、男子児童は不登校になったという。
「ただビデオを見せればいいというやり方に、いかに弊害があったかということだと思います。事前や事後の指導がとても大切で、一人ひとりの人間の罪ではなく、軍隊という組織や戦争という行為そのものに、どのような問題があるかを掘り下げられるかが問われています」

首里城公園の壕の前でフィールドワークを行う下地史彦さん。(安田菜津紀撮影)
今も続く不条理と「踏んでいる」側の責任
重要なのは具体的に「話す」ことであり、「米軍や自衛隊のことに触れるのはやめよう」と、教員側がはれ物に触るように避けることは、かえって問題を深める恐れがある。「話す」上でも重要になるのが、直接的な体験だ。
「安全処理をした不発弾の実物を持っていくだけでも、子どもたちの反応は違ってきます。ガマに入る前と後では、戦争体験に対する実感は全く異なります」
そして学校のプログラムで「現場を訪れる」を実践しても、その感じ方は一様ではない。
「辺野古を訪れれば、抗議の様子も、埋め立ての現実もともに見ることになるでしょう。そして高校生であれば、基地建設が必要と思う生徒も、批判的に見る生徒もいるでしょう。同じ場所を見ても、受け止め方は多様にあるはずです」
沖縄県教職員組合などが6月5日に発した声明では、《学校教育活動における生徒の安全管理は最重要事項であり、事故の原因究明と今後の再発防止に向けた安全対策が急務》《生徒たちが安心して学びや体験活動に参加できるよう、学校・関係機関・地域社会が連携し、二度とこのような事故が起こらないよう全力で再発防止に取り組む必要があります》とした上で、文科省の判断にこう警鐘を鳴らす。
《文科省の見解は「政府の意向に反する題材・取り組みは許さない」「政府の意に沿うかどうかが中立性の基準」との圧力を感じるものであり、これは、教育への不当な政治介入です。今回の文科省見解により、教職員が萎縮することが大いに危惧されます。学校現場が戦争や平和、人権、憲法について現状や課題を扱うこと自体を避けることになれば、子どもたちの学ぶ機会を狭めることになりかねません。その結果、民主主義の基盤である主権者教育が損なわれる危険性すらあります》
儀間さんが教育の機会を奪われ、戦争に動員された「戦前」も、今なお米軍基地負担が集中する「戦後」も、不条理を押し付けているのは私が暮らす「本土」だ。事故の検証と再発防止の徹底は不可欠だ。同時に、「ウチナーンチュばかりに背負わせるな。ここにいるヤマトゥンチュが声をあげろ」という言葉は、高市首相にも、そして私にも向けられているのだと受け止めたい。負担を沖縄に偏在させている構造そのものを変えていく責任が、「踏んでいる」側にはあるはずだ。

儀間さんが掘削を命じられた第三十二軍司令部壕の第五坑区入口付近。(安田菜津紀撮影)
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フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda
1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。
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