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第4回:夏の終わりの家族―『私たちはつながっている』三浦美和子
秋田市在住でフリーの記者としてジェンダーやセクシュアリティ、人権について発信している三浦美和子さんの新連載『私たちはつながっている』。第4回をお届けします。(他の回はこちら)

子どもと過ごす時間が長くなる夏休みは、私にとって少し、苦しい時期でもあります。
自分の内面がいつも以上に「母親」というもので埋まっていくからです。
家の中のさまざまなことが思い描いたように進まず、気持ちがささくれ立っていく。余裕を失って、よそとうちを比べてしまう。
気がつくと私は、口うるさく、管理的で、私が一番なりたくないと思う私になっています。そういう自分を目の当たりにするたび、一からやり直せたら、という気持ちになります。
以前、Dialogue for People(D4P)が、國學院大学で哲学を教える小手川正二郎さんの動画シリーズ「親子をときほぐす」を配信していました。第1回の動画では、親がしなければならないこと(義務)、してはならないこと(禁止)、してもよいこと(許容)についてふれていました。
私はヒントを得たい一心で、文字通り食い入るように動画を見ました。
特に学びになったのは「許容」の考え方です。
親が日常的に行うしつけや干渉の大部分は「してはならない」わけでも「しなければならない」わけでもなく、「してもよい」という許容の領域に収まっている、と小手川さんは述べていました。
動画を見終えた時、私はこれまで「しなければならない」という考えにとらわれすぎていたかもしれない、と自分を顧みました。日常のあれもこれも、そんなに気にすることだったろうか?と自分の振る舞いを客観視できたとき、自分が少し「まし」になったような、リセットできたような思いがしました。
ただ、変わることは簡単ではありません。ヒントをつかんだと思った数日後には、また同じことに悩んでいる自分がいます。
この道は、多かれ少なかれ自分が選択したはずのものでした。にもかかわらず私は、ひとり取り残されているような、家にとらわれているような感覚に陥り、ここから逃げたいと思うことがあります。
母親である私が逃げたいと感じている「ここ」は、子どもにとっては、どんな場所なのだろうかと考えます。

家族のケアを担う人
この7月、私は秋田県で暮らす30代の女性、Aさんにインタビューをしました。
Aさんが語ったのは、子どもの頃の記憶です。
「はっきりおかしいんだなって自覚したのは、小学校に入って、夜中とか真冬とかに追い出されるようになってからだと思います。それまでよく殴られたりしてたんですけど、それはおかしいことじゃないと思っていて。みんな家ではそうなのかなって思ってたんですけど、追い出されて、警察が来るようになって、それでおかしいんだなって思いました」(Aさん)
Aさんは、父親から暴力を受けてきました。Aさんの母親も、父親の暴力や暴言を受けながら、Aさんときょうだいを育ててきました。
母親はAさんに「あなたはこういうふうにならないように勉強するんだよ」と、よく言い聞かせていたそうです。
Aさんが子どもの頃、母親はパートタイムで働いていました。家事や子育てといった家族のケアは母親が一人で担い、職場や働き方は家の都合に合わせて変えていたといいます。「こういうふうにならないように」という母親の言葉を聞いていたAさんは、小学生のころから「手に職をつけなければ」と考えてきました。
Aさんの父親は、経済的に厳しい家庭で育ったといい「俺は苦労した。おまえたちは恵まれている」と折に触れてAさんたちに言いました。
子どもたちに良い生活を送ってほしいという思いからか、自身の中にある「コンプレックス」のようなもののためか、父親はAさんたちに理想を強く押し付けるところがあったといい、それが家族への暴言や暴力につながっていたことが、Aさんの言葉から伝わってきました。
「実績が欲しかったのかな」
「(子どもを)自分の作品というか、分かりやすく、例えば立派な職業につくとか、いい高校に入るとか、そういう実績が欲しかったのかなって」
Aさんが父についてそう語ったとき、私は、どきりとしました。Aさんが語る父親の中に、私自身の姿を見た気がしたからです。
子どもの幸せのためと言いながら、子どもの心を押さえつけるようなことを私もしてきたように思います。そこには子どもを「自分のもの」のように見る意識が、あったと思います。
Aさんの声を、私は時折ひとりの母親になって聞いていました。
私はそんなふうにしていないし、私は違う――と打ち消す気持ちと、私も重なる部分があるかもしれないという重苦しい気持ちが、心の中で入り混じっていきました。
「自分の子どもの頃のことって、大人になるにつれて忘れていくものかなって思ってたんですけど、私も周りに結婚して出産した人がいるんですけど、子どもを見ると、なんでこんな小さい子を相手にあんなことができたんだろうって思うことがあって。自分の――例えば仮に子どもを産んだとしたら、子どもが成長するにつれて、自分が小さいときに受けた仕打ちとかを思い出して、なんていうか、またトラウマが出てくるんじゃないかって」
「(父と)同じようにしちゃうんじゃないかとか、殴っちゃうんじゃないかとか」
結婚や子どもを育てるということに話が及んだとき、Aさんは、そう不安を語りました。
私の中にある「優生思想」
Aさんのインタビューはウェブサイト『voice 声』で発信しました1。その数日後、記事を読んだBさんという方が、SNSに自身の思いをつづっていました。
Bさんの許可を得て内容を一部、転載します。
〈私の子にとって、家は安全な場であったかと記事を読んで考えた。自分の親と同じことはすまいと思いながら、同じ様な言動をして子どもを傷付けたと思う。子を産む側は、産むとき、子を産み育てたいという自分(自分たち)の欲求でそうするけれど、生まれてきた人々は何が何だかわからないうちに世界へ押し出されてしまうのだからたまったものじゃない〉
私もBさんと同じようなことを、自分に問いかけていました。
子どものためだと言って、私は日常どんな言葉を発してきただろうか。どんなまなざしを向けてきただろうかと。
Aさんが語ったことを思い起こしながら、私自身はなぜ親(母親)であることに苦しさを感じるのか、考えてみました。
そこにぼんやりと見えてきたのは、私が遠くに押しやっているはずの「優生思想」につながる価値観です。
何かを理解する、効率よくできる、成長する、役に立つ、稼げる――といったことは「良いこと」で「幸せ」につながるものだという価値観が、私の中には息づいています。
その一方、何かを理解できない、効率がよくない、成長がみえない、役に立てない、稼げない――といったことをマイナスと見る価値観も、私の中にしぶとくこびりついています。
このような価値観は私を取り巻く社会のすみずみまで存在していて、人をしばっているように思います。家、学校、職場、そして差別や排除をなくそうと集ったはずの場でさえも。
この価値観に合わせなければ、適応しなければと思うから苦しいのかもしれない。無理に適応しようとせず、ささやかでも抗いながら生きていくことはできるだろうか? いつ、どんな形でならそれが可能だろうか?――Aさんの声と自分の日常を重ね合わせながら、思いをめぐらしています。

人口のため、家族に踏み込んでいく
ところで、Aさんにインタビューをお願いしたきっかけは、Aさんが発した次のような言葉にありました。
「私たちは秋田県を存続させるためにマーケティングで動かされる数値(出生率)の一つではない」
Aさんのこの言葉は、秋田県が人口減少対策として行っている「結婚支援」(男女のマッチング)に対して向けられたものです。
秋田県は「生まれる子どもの数」が全国の中でも早い段階で減少し始め、その傾向が今も続いています。
このため県は長年、さまざまな人口減少対策を展開してきました。

2011年には秋田県独自の結婚支援センターを設け、官民が一体になって「男女のマッチング」に努める体制が生まれました。ちなみに、国が少子化対策として自治体の結婚支援センターを本格的に支援するようになったのは2013年度からなので、秋田の動きは全国的に見ても早い方であることがわかります。
結婚支援センターがつくられた当時の秋田県議会のやり取りを見ると「個人のプライバシーにかかわることを公的なところがやるのは、大変難しいのではないか」と懸念を口にする議員もいました。しかし、おおむね「一歩踏み込んだ少子化対策」という評価と期待を背負いながら、結婚支援センターはスタートしました。
それから15年後の2026年4月、秋田県は婚活アプリや結婚相談所などを手掛ける大手企業と連携協定を結びました。
人口減少が進む中、いまでは全国の自治体が「男女のマッチング」という直接的な事業に力を入れています。若い世代が結婚しない主な要因は「適当な相手にめぐりあわない」から――という調査結果に基づく政策だといいます。
Aさんの声を通して、あらためて気がついたことがあります。
結婚支援とは、子どもの数を増やしていくための基盤となる「家族」の数を増やそうとする政策だということです。
どこまでも、数の話なのです。
Aさんの言葉です。
〈家族という枠組みの中に、さまざまな問題の解決を押しつけられているように感じます。長時間労働の代わりに家事や育児を負担すること、体力が衰えた高齢者の世話をすること…。それらの多くは、女性に向かっていると思います。「家族で支え合う」は限界を迎え、もう何も背負いたくないから、ひとりを望む人が増えたのではないかと思ってしまいます。私は父の老後の世話をしなければならないと思うとすごく複雑です。それに加えて結婚して子どもができたら育児が加わり…と考えると、途方もない気持ちになります〉
少子化の原因と言われてきたことのひとつに「女性の社会進出」があります。近年は「若い世代の不安定な雇用」「経済的な負担」といった理由も、よく挙げられています。
しかし、その理由はいつもどこか責任転嫁のようで、根本から目をそらしていると感じてきました。
ある一つの家族の、一人の子どもの声を聞いて思うのは、政策上「数」として語られる家族と、現実の家族との溝の深さです。
私は、会ったことのないAさんの父の中にも母の中にも、自分の苦しみを見たような気がしました。
それはなぜなのか、考えています。
(2026.9.7 / 執筆・写真 三浦美和子)
- 「ほっとしてしまいます」(『voice 声』2026年8月14日公開記事) https://www.media-akita.jp/kazoku/ ↩︎

Writerこの記事を書いたのは
Writer

三浦美和子Miura Miwako
1976年生まれ、秋田市在住。地方紙記者を経て2023年からフリーの記者。「voice 声」というサイトをつくり、ジェンダー、セクシュアリティ、人権について地方から発信している。
この連載について
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