
1910年から1945年までの35年間、日本は朝鮮半島を植民地としていました。その残虐な支配は、強制労働や文化抑圧、さらには戦時下の徴兵や日本軍「慰安婦」への動員など、多岐に渡ります。そのすべてが、いまもなお加害の傷跡を深く残しています。
ここでは、韓国における日本の「加害の歴史」が記憶される場所を5つご紹介します。
以下の一覧をクリックすると、それぞれの場所の説明をご覧いただけます。
1. 植民地歴史博物館(ソウル)
2. 戦争と女性の人権博物館(ソウル)
3. 陜川原爆資料館(慶尚南道)
4. アルトゥル飛行場(済州)
5. 済州4・3平和公園(済州)
1.植民地歴史博物館
日本の植民地支配と抗日闘争を知る

日本による植民地時代の侵略の歴史と抗日闘争の歴史を記録・展示する博物館。常設展示では、植民地支配の開始から戦後の平和構築まで幅広く触れられている。また、植民地時代の学校や刑務所を再現した、体験スペースも設けられている。本施設では展示だけでなく、教育プログラムやイベントも実施されており、韓国語版の公式ホームページでは、被害者の証言を伝える動画を見ることもできる。
公式HP:https://historymuseum.or.kr/
※注意点 毎週月曜日は休館日です。
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2.戦争と女性の人権博物館
日本軍「慰安婦」ハルモニの経験に触れる

日本軍「慰安婦」のハルモニ(韓国語で「おばあちゃん」の意味)たちが経験した歴史を、様々な展示や教育プログラムを通じて伝えている。ソウル中心部にある個人の家を改装して建てられた。建築技法や展示の動線を通じて、ハルモニたちが経験した世界との断絶、苦しみ、さらには未来へのメッセージに触れることができる。
公式HP:https://womenandwarmuseum.net/home
※注意点 毎週日・月曜日は休館日です。
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3.陜川原爆資料館
韓国の被爆者の経験に触れる

韓国初の原爆資料館。日本の植民地時代に徴用などで来日し、広島で被爆した「韓国の被爆者の目線」で原爆の被害を伝える。この施設が位置する陜川は、在韓被爆者のうち約4割の人々の出身地と言われている。被害を伝える写真、被爆地で発掘された瓦やガラス、被爆2世・3世の苦しみを伝える展示などがある。2017年度に、被爆1世たちが入所する養護施設に隣接する形で開館した。
公式HP:https://hcabm.co.kr/layout/res/home.php?go=main&
※注意点 平日の見学は予約不要です。週末と祝日は原則休館で、見学には事前にHPからの予約が必要です。
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4.アルトゥル飛行場
植民地時代に建設された軍事基地

植民地時代に、日本軍が済州島民を動員して建設した軍事施設。白菜畑やジャガイモ畑が広がる中に、飛行場、管制塔、対空砲陣地、格納庫など、戦争の痕跡が多く残っている。済州島は、アジア太平洋戦争末期、日本の「本土」を守るための巨大な「要塞」とされていた。その歴史を語りながら、私たちに戦争の恐ろしさや平和の尊さを思い起こさせる。これらの跡地は見学可能で、格納庫の中に入ることもできる。
※注意点 歩きやすい靴での見学が推奨されています。
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5.済州4・3平和公園
済州4・3の犠牲者を悼み、平和の基盤を築く

1948年4月3日、米軍政による抑圧や南北分断の加速に対し、済州島の一部島民が武装蜂起。政府側は約6年間にわたって島民を無差別に虐殺し、3万人が犠牲になったとされる。この4・3事件の犠牲者を追悼し、平和・人権・教育の基盤を築くことを目的に、この施設がつくられた。祭壇や記念館などを含む広大な複合施設で、毎年4月3日には、済州島の市民が祭壇の前に集まり、犠牲者を悼む。
公式HP:https:http://jeju43peace.org/
4・3事件は日本軍が撤退した後に起こった事件ですが、日本の植民地支配がもたらした影響を踏まえ、掲載しております。
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