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最初に覚えた日本語は「ダメ」―増える新規難民申請者、追いつかない公的支援

「公園で生活した1ヵ月半、安全だと感じられたことはありませんでした。命の危険はないと思って日本にやってきたのに……」

東京都中野区、困窮者支援を行う一般社団法人「つくろい東京ファンド」の事務所で、中部アフリカ出身の男性Aさんが、ここにたどり着くまでの壮絶な道のりの一端を語ってくれた。極めて難民認定率の低い日本で、果たして自分が保護されるのか、常に気がかりだという。一方で、自身が受けてきた弾圧を考えれば、「自分は間違いなく難民に該当する」と信じている。

度重なる拷問、親族は今も

Aさんは、自国で現政権の腐敗を問い、まっとうな民主主義や自由を求める政治活動を主導していた一人だった。けれども活動が世間の関心を集めれば集めるほど、警察などが頻繁に自分を訪ねてくるようになった。身の安全を求め、各地を転々とし、アフリカ国内の別の国に逃れたこともあった。

一度は自国の安全を信じ戻ったものの、即座に拘束され、昼夜の区別がつかない真っ暗な部屋で暴行を受けることになる。救出された後も、仕事先を荒らされるなど、弾圧は続いた。あるとき、政権に反対する平和的デモに参加したときのことだ。警察はAさんを含む参加者を次々と拘束し、拷問を加えた。腫れと出血がひどく、運びこまれた病院では、看護師がこっそりAさんを逃がしてくれたという。Aさんは後日、その看護師が誘拐され、行方不明となったことを知る。

Aさんのように命を狙われた当事者が、国外に逃れるためのハードルのひとつがパスポートの取得だ。やむなく偽装パスポートを作り国外に逃れる場合もあり、難民条約でも、身の安全の確保を優先するため、こうした手段での入国自体を罰してはならないと定めている。

Aさんは拘束された際にパスポートを奪われていたが、逮捕状は「法務省」の管轄で、パスポートの発給元である「外務省」には情報が共有されていなかったようだ。その「縦割り」に助けられる形で、パスポートの再取得が叶う。

日本を避難先として「選んだ」わけではない。とにかく早く自国を離れなければ、自分自身も、自分をかくまっている親族にも危険が及ぶ可能性が高まっていく。たまたま自分が身を隠していた場所から近く、窓口にたどり着きやすかった日本大使館にビザを申請し、2023年夏に来日した。何人かの親族は今も、拘束され、拷問を受けているという。

都内上空を見上げて。(安田菜津紀撮影)

「安全」なはずの日本で路上生活に

「ほとんど所持金もなく日本にたどり着き、空港で一晩過ごしました。翌日、空港の警備員に事情を話すと、個人的に交通費を千円渡してくれて、支援団体の最寄り駅までの行き方も教えてくれました」

一時はコロナ禍の「水際対策」で、来日外国人の減少と共に難民申請者も減少していた。ところが2023年1~9月だけで、すでに1万1千人を超える難民申請があったことが報じられている。背景には検疫の緩和と、アフリカ諸国での情勢悪化があるとされる。

Aさんがたどり着いたいくつかの支援団体も、それぞれ相談者が後を絶たない「パンク状態」にあり、食料などは提供されたものの、宿泊場所の確保ができないと告げられた。やむなく、近隣の公園での生活が始まる。秋口となり、朝晩冷え込む路上生活は体に堪えた。公園には他にも寝泊まりするアフリカ出身者たちがいたが、警官たちが「ここで寝ないで」と“見回り”にくれば、夜中でも散り散りになるほかなかった。

「私の家族は、私の政治活動を理由に捕らわれています。直接活動していない家族でさえ捕らわれている中で、まして自分が帰ったら何が起きるでしょうか。いつ日本政府から『帰れ』と言われるのかと、恐怖を感じます。日本は難民条約を批准している国としての義務があるのではないでしょうか」

都内の公園。近年は横になれない「排除型」のベンチが増えている。(安田菜津紀撮影)

Aさんはアフリカの別の国に逃れていた際、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から難民として認められている(いわゆる「マンデート難民」)。ただ日本では2004年、マンデート難民と認められていたトルコ出身のクルド人父子が強制送還されたほか、2017年にも別のマンデート難民が入国を拒まれ帰国させられていたことが発覚しており、安心はできないのが現状だ。

「入管に閉じ込められる」とパニックに

Aさんと同時期に来日した、西アフリカ出身のBさんは、スポーツ選手として活躍し、取材を受けるなどして知り合ったジャーナリストたちが身近にいた。ところが、国の高官らの汚職問題を追っていた彼らが、相次いで殺害される事件が起きる。Bさん自身も見知らぬ人に付きまとわれたり、電話やメッセージなどで脅迫を受けるようになった。国内を転々としても、事態は一向に沈静化しなかった。様々な国にビザを申請し、最初に前向きな返事を得たのが、日本だった。

日本到着後、5日間ほどはホテルに滞在していたものの、所持金はすぐに尽きる。アフリカ出身者が多いコミュニティを頼るも、家々を転々とするのも限界がある。迫害から逃れて来たBさんにとって、自国関係者であっても信用できるわけではなく、むしろ関りを避けてきたという。ほどなくして、路上で過ごす日々が始まった。

人づてにつくろい東京ファンドのことを聞き、「沼袋駅」「白い3階建ての工場の建物」というわずかな情報を頼りに事務所を探し出した。ある朝、スタッフの武石晶子さんが出勤した際、ドアの前でうずくまっているBさんを見つけたという。

「私が今帰国することになっても、同じ政権のままですし、命の危険は変わっていないんです。恐怖を感じていなかったら、自国に人生があったわけで、日本に来るはずがありませんでした」

取材に応じてくれたBさん。(安田菜津紀撮影)

Bさんはビザが切れる直前に難民申請の仕組みを知り、手続きのため入管に向かった。不慣れな書類に書ける限りのことを書いても、窓口では日本語で「ここダメ、これダメ」と言われるばかりだった。何にどう不備があるのか、丁寧な説明もなされないまま、「ダメ」が繰り返される。Bさんが最初に覚えた日本語が「ダメ」だったのもそのためだ。

「このままでは入管に閉じ込められてしまうかもしれない」とパニック状態に陥りそうになったBさんを助けてくれたのは、同じフロアで手続きにきた人々だったという。

公的支援の「空白」、民間が肩代わり

生活に困窮していると判断された初回の難民申請者に対しては、国の公的支援として「保護費」が支給されることがある(再申請して難民認定されるケースも一定数あるが、保護費は原則、初回の申請者に限られている)。外務省から委託された、財団法人アジア福祉教育財団の難民事業本部(RHQ)が、その実務を担っている。

ところがその公的支援を受けられる場合でも、「公助の空白期間」が生じてしまう。支給決定までに数ヵ月かかることも多く、Bさんは昨年8月、RHQに申請を出したものの、2月15日現在も支給は開始されていない。その間の命綱は、つくろい東京ファンドのような民間団体が肩代わりすることになる。

保護費は単身世帯に生活費として月約48000円(1日1600円)、住居費は上限が6万円で支給されるが、敷金・礼金など住まいの初期費用は支給されない上、契約も自力で行わなければならない。RHQ自体に、緊急連絡先や保証人になってもらえるわけではない。

Bさんのような初回申請者は、難民申請の8ヵ月後から就労許可を得られることが多い(ビザが切れた後で難民申請をした申請者や、初回申請者の一部、または再申請者のほとんどが就労不可)。就労にこぎ着けるためには言語教育の支援が欠かせないはずだが、難民認定を受けていないBさんたちに対する公的な日本語学習支援はない。

つくろい東京ファンドでは、あるNPO団体が提供する日本語教室につなげている。奨学金制度を利用し、Bさんもテストのひとつに合格したばかりだった。ただ、全ての申請者が順当に学習を続けられるわけではないと武石さんは語る。

「ここに相談に来る人たちは、家族が虐殺されたり、拷問を受けたり、すでに過酷な経験を経てきているんです。難民申請を手助けする際に、“証拠”となる現場の写真を見ることがありますが、私もフラッシュバックするほど壮絶なものもあります」

「ストレスや元々の持病で心身の調子を崩してしまう人もいます。特に住まいを確保して、生活が少し落ち着き、ふと緊張がとけると、一気に溜まっていたものが症状に出てきたりすることもあります」

難民申請中の男性と向き合う武石さん。(安田菜津紀撮影)

武石さんは公的支援につながるまでに、申請者たちが抱える悲しみや怒りを受け止めてきた。

「時間のかかる保護費の決定までの不安定な状況の中、支給判断のために“本当に困っているか”をはかられるような質問を重ねられたりすると、『なぜ私はこんなに軽んじられるのか』『なぜ安全だと思ってやってきた日本でこんな目にあうのか』と、心が折れそうになってしまう人たちがいるんです。保護費が支給されるまでの辛い期間を我慢してもらわなければならないことに、私自身もジレンマを感じます」

共助に頼らざるをえない制度設計、疲弊する支援者

つくろい東京ファンドへの相談も、2023年夏頃に増えだし、新規難民申請者28世帯ほどを支援してきた。これまで外国人支援や難民支援をしていた団体だけでは対応が追いつかず、つくろい東京ファンドをはじめ、困窮者支援を続けてきた団体にも相談が寄せられている状況だ。

ある時は婦人科系の持病の症状を抱え、腹痛を訴える臨月の妊婦が、真冬に行き場をなくし、どの公的機関にも緊急対応されず、つくろい東京ファンドにつながったこともあった。

「住まいは人権」「ハウジングファースト」を掲げてきた同団体は、まず「東京アンブレラ基金」などを利用して緊急的にホテルに滞在してもらい、そこからシェアハウスなどの住居を確保している。「住まいや安心して医療にかかれる環境が整って初めて、自分の生活の今後を考えられる」と武石さんも語る。

「ここに来る人たちはもっと、“ケアが必要な人たち”なんです。そもそも共助に頼らざるをえない制度設計がおかしいはずですし、『大変だ』ということを皆一丸となって訴えていかなければならないと思います。このままでは私たちに限らず、支援者たちも疲弊していってしまいます」。自治体なども巻き込み、行政などへのアドボカシーも積極的に行っていきたいと、武石さんは考えている。

本来「助けて」と声をあげることは決して「恥ずべきこと」ではない。ただ、毎回「お腹がすいた」「交通費を下さい」と言わなければ生活できない状況が作り出されていること自体が、「自尊心を傷つける」と武石さんは語る。

「しっかりした公助を受けた上で自立できる道さえ整っていたら、傷つくはずのない尊厳があるのではないかと思います」

まずは目の前の命を支えるため、難民申請者を支援する人々や団体を、社会でサポートしていくことが喫緊の課題だが、「自助」「共助」に頼るばかりでは尊厳も心身もすり減っていく。「支援の空白」を生み出さないため、「公助はどこへ?」の声をあげ、社会の仕組みを変えていくことも不可欠なはずだ。

つくろい東京ファンドでは、クラウドファンディング「誰一人、路上に置き去りにしない冬へ。国籍を越えて医療と宿泊を届けたい!」を実施中です

(2024.2.17 / 安田菜津紀)

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