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安田菜津紀および在日コリアンへの差別投稿・ヘイトスピーチに対する訴訟について

※本記事では訴訟の内容をお伝えするために、差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。
※より記事の内容が伝わるようにタイトルを改題しました。(2023年5月19日)

2021年12月8日、東京地方裁判所に訴状を提出しました。私(安田菜津紀)に対するインターネット上の誹謗中傷、および在日コリアンへのヘイトスピーチに関する訴訟となります。

2020年12月、Dialogue for People公式サイトに、『もうひとつの「遺書」、外国人登録原票』と題した記事を掲載しました。

この記事は、父の家族のルーツと生きた道のりの一端を、古い書類をたよりにたどったものです。父は、私が中学2年生の時に亡くなりました。その後、家族の戸籍を手にし、父が在日コリアンだったことを初めて知ることになります。

「なぜ、父は自身の出自を語らなかったのか?」――その疑問に答えを見出そうと、父の生家やその周辺に暮らす在日コリアンの歴史を調べていきました。そしてそれは、壮絶な差別やヘイトスピーチの問題に向き合うことでもありました。今もネット上で消費され続けるヘイトクライムの映像の数々を目にする度に、私は思うのです。「もしかすると父は、こういうものを自分の子どもに見せたくなかったのではないか」と。

幼い頃、父と訪れた菜の花畑で。

この記事には大きな反響がありました。温かな言葉をかけて下さった方もいれば、明らかに記事の内容を読まないままでの反応、差別を上塗りするような言葉を吐きかけてくるSNS上の書き込みもありました。私はそれを「仕方がない」で終わらせたくはありません。

発信を続ける中で、次世代からこんな声が届くようになりました。「私は勇気がなくて、自分のルーツを友人にも言えていないんです」「結婚したい人がいるのですが、なかなか打ち明けられずにいます」。誰しもがルーツを明らかにする必要はありませんが、それを誰かに伝えること自体に「勇気がいる」のだとすれば、それは安心して暮らせる社会と言えるでしょうか。

これまではなるべく、自分が受けた差別書込を見ないようにするなど、自助努力で対処しようとしてきました。けれどもこうした問題を放置すれば、同じアカウントがまた違う誰かを攻撃するかもしれません。見ないようにしても、それは問題の先送りでしかないことに気が付いていきました。

もちろん、誰しもが声をあげる「べき」だとは思っていません。差別の矛先を向けられた人にとっては、まず自身の心を守ることが最優先だと思っています。ただ、伝える仕事を続けている私自身に今、持ち寄れる役割は何か、どんな声を届けていくべきなのかを、ルーツの記事を公開してからずっと、考えてきました。

差別の問題は、「心の傷つき」という問題に留まりません。ヘイトスピーチは、社会的マジョリティーの側との力の不平等を背景に、矛先を向けられた側に恐怖心を抱かせ、「声をあげたらまた言葉の暴力にさらされる」という沈黙を強い、日常や命の尊厳を深くえぐるものです。だからこそ今回、差別書き込みをしてきた相手に対し、裁判を起こすことを決めました。対象としたのは、私や父の出自をもって「チョン共」「密入国」「犯罪」などの言葉を羅列していた二つのアカウントです(この二つ以外にも、手続きを進めているアカウントがあります)。

本来であれば裁判ではなく、あなたはなぜこの書き込みをしたのか、それをしないためには何が必要なのかを直接尋ね、共に考えてみたかったと思っています。ただ、相手は匿名のアカウントです。その「誰か」を特定するためだけに、発信者情報開示を求める裁判を複数回、起こさなければなりませんでした。

その発信者情報開示を求めた裁判の判決では、書き込みは単なる誹謗中傷ではなく「差別」であり、人格権侵害であることが認められました。今回の損害賠償を求める民事裁判でも、その点を明確にした判決が出されることを願っています。

ただ、日本社会にはいまだ、包括的に差別を禁止した法律も、独立した人権救済機関もありません。「たまたま」差別が判決で認められることがある、という不安定な状況では、多くの人々が安心して被害を訴え出ることはできないでしょう。

時折、ヘイトを規制する動きに対して、「表現の自由への侵害だ」という声を耳にします。けれどもヘイトが誰かに沈黙を強いるものである以上、矛先を向けられた人々の「表現の自由」はすでに踏みにじられているのです。「表現の自由」は「差別の自由」ではないことを明確にした上で、今回の訴訟が、必要な法整備につながる一助になればと願っています。

記者会見の様子

(2021.12.8 / 文・安田菜津紀)

補足解説

■ “密入国”という書き込みについて

1910年、日本は朝鮮を植民地としました。当時の植民地政策により生活の手段を失った人々の中には、日本への渡航を余儀なくされた方々も大勢いました。また、日中戦争後の戦時体制下では、労働力として多くの朝鮮人が動員され、過酷な労働に従事させられました。日本の敗戦後、多くの朝鮮人は帰国を望みましたが、当時の朝鮮半島の社会事情や、財産の持ち出し制限などにより、帰国をためらう人々もいました。朝鮮半島出身者は、日本の植民地時代には「日本人」とされていたものの、1952年のサンフランシスコ講和条約の発効に伴い、日本国籍を剥奪され、「朝鮮籍」というカテゴリーで外国人登録法の適用を受けることになりました。さらに朝鮮半島は南北二つの国に引き裂かれ、1965年、日本は南側の韓国とのみ国交を結びました。その際に韓国籍を取得した人もいれば、「朝鮮人」「朝鮮籍」のままでいることを選んだ人たちもいます。93年より、「朝鮮籍」の人々も「特別永住者」の対象となり、現在、「在日コリアン」は、韓国籍・朝鮮籍を含めて約40万人が「特別永住者」として日本社会で生活しています。中には日本国籍を取得する人々もいます。いまでこそ難民条約があり、庇護申請国へ不法入国し、また不法にいることを理由として難民を罰してはいけない(難民条約第31条)ということが定められていますが、そうした保護の受け皿もない時代に海を渡ろうとした人々にとっては、さらに厳しい状況だったでしょう。

今回提訴した件に関しては、「密入国という、事実と違うことを書かれた」ことよりも、こうした歴史的背景を無視したまま、適法な手続きを取らずに日本に入らなければならなかった人たちをひとくくりに「犯罪者」とし、差別したことを重大な問題として考えています。

■ ヘイトスピーチの害悪

「ヘイトスピーチ」という言葉は「憎悪表現」と訳されることもありますが、ここでいう「ヘイト」とは、マイノリティ(社会的少数者)に対する否定的な感情を特徴づける言葉として使われており、単なる「悪口」や「汚い言葉」ではありません。ヘイトスピーチは、個人に対する攻撃に留まらず、マイノリティ集団全体への差別を「扇動」する効果を持ってます。そういう意味では、「憎悪表現」という訳よりも、国際人権条約などでも使用されている「差別扇動」という言葉の方が適切でしょう。そうした「差別扇動」にはふたつの害悪があります。

ひとつ目は、そうした言動を繰り返すことによって、その対象となっているマイノリティ集団を「差別をしてもよい存在である」と社会に伝えてしまうことです。
ふたつ目は「魂の殺人」とも言われるマイノリティに属する人々に与える深刻なダメージです。自らが同じ人間であること、社会の一員であることを否定されることにより、呼吸困難、難聴などの心身の不調、また、ただでさえマジョリティ(社会的多数者)とマイノリティの間には、必然的に強者と弱者という関係性がありますが、攻撃を受けたマイノリティは、恐怖を感じ、自己喪失感や無力感にさいなまれ、さらなる被害を恐れて声をあげられなくなる「沈黙効果」等が生じます。

下の図は、偏見が憎悪に、そして暴力、ついにはジェノサイド(意図的・制度的な民族、国籍などの集団の抹殺)にいたる過程を表現した図です。

憎悪のピラミッド(出典:Anti-Defamation League)

すでに住居・就職差別や、属性に基づく暴力行為や殺人の起こっている日本は、差別を包括的に禁止する法制度の構築や、独立した人権救済機関の設立が求められているのではないでしょうか。


国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に

ヘウレーカ
2,090円(税込)

【2023年5月刊行】
フォトジャーナリスト安田菜津紀がつづる、
自身のルーツをめぐる物語。

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