
2024年にフェミニスト出版社エトセトラブックスから刊行され、大きな反響を呼び続けている書籍『部落フェミニズム』。さらに雑誌『エトセトラ VOL.15 特集:部落フェミニズムに呼応する』でも特集が組まれ、対話の輪が広がり続けています。
今回は、編著者である熊本理抄さん、本書に自らの経験を寄せた石地かおるさん、そしてエトセトラブックス代表の松尾亜紀子さんをお迎えし、複数の差別が交差する現実と、そこから紡がれる言葉、そして「知ろうとしない」マジョリティ側の責任などについてお話を伺いました。
Contents 目次
『部落フェミニズム』はなぜ編まれたのか
──書籍『部落フェミニズム』の発売から1年以上が経ちました。そもそも、なぜこのような観点から本を編むことになったのでしょうか。編著者である熊本さんにお聞きします。
熊本:2022年の水平社創立100年を機に、部落問題研究や運動の歴史を振り返る中で、女性の経験が今なお後景に置かれているという問題意識が私にはありました。
同時に、インターセクショナリティ(交差性)への関心が高まるフェミニズムの側でも部落女性は不可視化され、自らの足元にある部落差別が問われない。この両方への危機感が本の出発点でした。
これまでの歴史において、部落問題研究者や運動に携わった男性、あるいはフェミニズムの活動家や研究者たちの名前は残されてきました。しかし部落女性は、調査や記録の中で常に匿名化されてきたのです。一体、誰の経験が「思想」や「歴史」として残され、誰の経験が匿名化され周辺化されるのか。そこには大きな非対称性があります。
同時に、部落女性が自身の経験を書くことには、多くのためらいを伴いました。「部落解放運動に参加していない」「フェミニズムを勉強していない」などといったためらいです。それを生み出す「運動のイズム(枠組み)」とは何なのかという問いも、本を作る過程で考えさせられ続けたことでした。
この本では、家族、性暴力、労働、福祉、教育、識字、結婚、出産、子育て、食という具体的な生活場面で、差別がどう絡み合っているのか。それが歴史や地域社会、制度や学術の中でどう現れてきたのかを、当事者の言葉や経験を通して見えるものにしたかった。
部落女性は、常に身を以て差別の現実を社会に示し、ずっと語り、書いてきました。その現実から「複合差別」の構造を浮かび上がらせ、立ち上がらせたい。それがこの本を作るときの、一貫した思いです。
「その他」とされてきた声を届ける
──前書きの中で、あえて「インターセクショナリティ」という概念を用いずに実証することを重視した、と書かれています。
熊本:大切にしたかったのは、「読者のみなさんにも、既に経験はある」ということです。そこには沈黙もあれば抵抗もあり、生活の知恵もあります。
まずはそうした経験にそのまま出会っていただく。その中で、「これこそが、差別が交差している現実なんだ」と気づく人がいたり、いなかったりする。そうして読者自身が自分の立つ位置を照らし返し、今度は自らの語りが引き出されていく。その順番を大事にしたかったからこそ、概念を先に置くのではなく、生活の経験から概念を照らしていく方向性を大切にしました。
──エトセトラブックスは、社会の中で「その他(エトセトラ)」とされ、届かなかった声を届ける活動をされています。松尾さんは、熊本さんから企画の相談を受けた際、どのように受け止められましたか。
松尾:熊本さんからメールをいただいたとき、断る選択肢は一切ありませんでした。「これは必ず引き受けなければいけない本だ」と思い、すぐに「やります」と返事をしました。
エトセトラブックスが「まだ伝えられていない声を届ける」と活動してきた以上、部落内や解放運動、そして何より既存の「フェミニズム」からも「その他」とされてきた女性たちが、「声を届けたい」と言ってくださったのなら、届ける以外の答えはなかったです。
同時に、自分自身が「非部落女性」というマジョリティのフェミニストとして、すごくいろいろなことを問われていくだろうという緊張も抱えていました。
部落女性、そして障害者として語ること
──石地さんは、「自立生活センターリングリング」で、日頃どのような活動をされているのでしょうか。
石地:障害のある人が、親元や施設ではなく、地域の中で自分らしく自立した生活を送るための応援をしています。
私自身、親元で暮らしていた頃は十分な介助をもらえなかったり、「障害があることは良くないことだ」と教えられたりして生活してきました。その経験を踏まえ、障害者が自分らしく生きるためのサポートをしています。
具体的には、障害当事者が代表と事務局長を務め、一人暮らしを目指す障害者のための「ピアカウンセリング」や、精神的サポート、啓発活動、バリアフリーの取り組みなどを行っています。
何と言っても醍醐味は、自分たちの手で「介助サービス」を運営することです。これによって、私たちが客体ではなく「主体」となって生きていける。そういう取り組みを実践しています。
──石地さんは本の中で、障害者であり、部落女性であるというご自身の経験を語られました。参加にあたって、どのような葛藤があったのでしょうか。
石地:熊本さんに初対面で「優生思想と部落差別とジェンダーを絡めた文章を書いてほしい」と誘われたとき、最初は「そんなこと、私にできるわけがない」と思いました。
でもよく考えてみると、「これは私が、私の経験を通して語るしかないのかな」と感じたんです。インターセクショナリティというものを生々しい経験として語ることの重要性、それが求められているのだと受け止め、やってみようと決めました。
ただ、私は「母が部落出身だ」ということはずっと言ってきましたが、自分自身が「部落女性」であるという意識は、当時はほぼ持っていませんでした。だから、何を書けば部落女性であることを伝えられるのか、すごく難しかった。
でも、母がどんな生き方をして、どれほど大変な人生を送り、自分を閉ざしてきたか。それをオープンにすることで、部落女性としての語りになるのではないか、と考えました。
「女性としての性」を回復していく
──『エトセトラ VOL.14 特集:SRHR』でのインタビューでも、恋愛、結婚、性に関わる領域において、「最初からそうしたものをしない、関係ない存在」と他者に決めつけられ、否定されてしまう経験を語られていました。女性であること、部落女性であることを自覚していくプロセスは、どのようなものだったのでしょうか。
石地:この本を作る中で仲間と出会ってわかったことですが、私はこれまで自分が「女性」であると自覚できるような生活を送ってくることができませんでした。
既存の女性運動やフェミニズムの言説を見ても、私の経験を説明し、助けてくれるものには出会えなかった。でも、この『部落フェミニズム』の仲間たちに出会えたことで、「私も女性と言っていい、言うにふさわしい存在なんだ」と、言葉や態度で示してもらい、受け止めてもらえました。
私は障害者同士の「ピアカウンセリング」を知って自立生活を始め、「私は私らしくいていい」と知ったのですが、その中でさまざまな抑圧を学ぶ時間があり、ジェンダーについてのセッションがあります。そのテーマが来たとき、私は本当に逃げ出したい気持ちでした。「女性として」と言われても、自分の中に語る言葉が何もなかったからです。
そのとき私は、「誰も私のことなんて女として見てないやん!」「家事もできない、綺麗でもない私を好きになる人なんか誰もいない!」と大声で叫んで、泣き喚きました。やっぱり、それが大きなきっかけでした。そうやって感情を吐き出し、自分の「性」を取り戻していく経験を重ねることで、ようやく「女性であること」を自覚していったのだと思います。
母が内面化していた差別と社会構造
──著書の中で、お母様がさまざまな差別をご自身の中に「内面化」させてしまっていたことにも触れられています。石地さんに対して直接「あんたが歩きさえすれば」と言ってしまったり、部落出身であることを隠そうとしたり。石地さんは、お母様に「そう思わせてしまった」社会的背景について、どう捉えていますか。
石地:本の中でも言っていますが、とにかく私は本当に母が嫌いだったんです。すごく差別を内面化していて、「文句があるなら怒ればいいのに」と思うのに怒らない。私を差別するなとも言わない。「そんな態度で差別がなくなるわけがない」と、私はいつも母を冷ややかな目で見ていました。
母は非部落の私の父と結婚したのですが、その目的は「部落の血を浄化させるため」でした。血を消し、次に生まれる子どもが部落を名乗らなくてもいいように、マジョリティに同化するために結婚したんです。そして私たちきょうだいに向かって、「あなたたちのために私はそうしたんだ」と言ってきました。
だけど、そうして生まれた私には障害があった。それで母は絶望したわけです。「障害があるのが嫌や」「あんたの面倒を見るのが嫌や」と、私に言葉をぶつけてきました。「自分の同化計画が失敗に終わった」と私を差別し続けた。私はそれがどうしても許せなくて、長い間、母と和解することができませんでした。
けれど、それも『部落フェミニズム』の仲間に出会って、母を違う視点から見るようになって変わっていきました。ちょうどピアカウンセリングの中でも、「私自身のさらなる解放のためには、母のことをちゃんと理解しないといけない」と気づき始めていた時期でもありました。 母は、部落差別を内面化して、沈黙をしてきた。自分が部落だとは言わなかった。それは、母なりの「生き延びるための戦略」だったんだということが、みなさんの話を聞く中で、私にもわかったんです。
母はよく「部落って知られたら、みんなに嫌われる」「みんなすごく嫌がるし、すごく怖がるんだ」と言っていました。それは母自身が思いついた言葉ではなく、社会の誰かが言っているのを耳にして、自分の中に内面化してしまったものなんですよね。そうして溜め込んだ苦しみや怒りを、障害のある私にぶつけていたのだと。そう想像すると、とても納得がいったというか、「あの母も大変だったんだな」と、ようやく客観視できるようになりました。
──本の中で、石地さんの障害について、産科医が母親に対して「部落同士で結婚をして血が濃かったということはないですか」と発言したエピソードが紹介されていました。こうした差別的な空気感は、現在も変わっていないと感じますか。
石地:私は変わっていないと感じています。
昔の方が、まだ「あからさま」に、さも「普通のこと」としてストレートに口に出していたと思います。それに比べて今の時代は、もっと構造的に支配するというか、あるいは全てを「個人の自己責任」に押し付けていくような、そういう空気を感じます。今の方がむしろ、見えにくくて、複雑で、怖いものになっていると感じています。
「寝た子を起こすな」という暴力を問い直す
──差別を掘り起こそうとすると、決まって「寝た子を起こすな(わざわざ取り上げるから波風が立つ)」という言葉が投げかけられます。
石地:私はそんなことはないと思っていて、「波風は立てた方がいい」と考えています。
「差別された」と声を上げると、今度は「逆差別だ」などと言われてしまう。そうした論調には本当にうんざりしているのですが、私が思うのは、まず当事者自身が、部落の歴史や自分に連なる家族のことを「きちんと知る」ということが大事だと思います。
私の母も祖母も実は部落について詳しく知らず、私にうまく歴史を継承できませんでした。でも、「部落だと言ったらお前も差別される」という恐怖や不安だけは、私にもしっかりと植え付けたのです。だからこそ、当事者も「正しく知る」ことが必要だし、当事者同士で助け合い、語り合える場が必要だと思います。
私自身、この本の仲間たちに出会うまでは「これは私の家庭だけの特別な問題だから、誰にも通じない」と思い込んでいました。でも、いざ出会ってみたら、食べているものも家族の考え方も、本当にそっくりで、多くのものが一緒だったんですよ。それを知ることが、自分の中にある差別の内面化をクリアにする大きな助けになります。
差別される側も、する側も、正しく知り、自覚していくこと。それこそが、差別をなくしていくために必要なことです。私もかつては「寝た子」でしたが、みなさんにしっかり起こしてもらえて、本当に心が軽くなりました。部落の食文化や、祖母や母のこと、親戚の仕事のこと。もっと気軽に世の中に話していける社会になったらいいなと思います。
優生思想の台頭に覚えるリアルな恐怖
──京都で起きた小学生殺害事件に絡んで、部落差別と紐づけるヘイト投稿がネット上で拡散されました。
石地:たまたまX(旧Twitter)を見た時にその投稿が流れてきてしまい、私は「もうこれは嫌だ」と見ないようにしました。ひとつ見るとアルゴリズムで関連情報がどんどん上がってきてしまうので、すぐに別のワードを検索したりしました。
こうしたヘイトやデマを見ると、私は本当に具合が悪くなってしまうんです。思考が止まり、「もう生きていたくない」「消えてなくなりたい」という気分にすらなってしまいます。
同時に、そうした酷い情報がドッと拡散される背景には、この社会の側にも、生きていくことのしんどさや、自分のマイノリティ性を表明できない不安や恐怖を抱えた人がたくさんいるのではないか、とも感じます。社会全体がそうした傷を内包しているからこそ、どんどん生きづらくなり、人が人として大切にされない現実が、ネット上の動きに表れているのかもしれません。
──前述の『エトセトラ VOL.14』内のインタビューで、津久井やまゆり園事件を忘れないためのサイレントアクション「リメンバー7・26 神戸」を、コロナ禍を経て再開された経緯が語られていました。そのきっかけが昨年の参院選における参政党のスピーチだったそうですが、どのような主張に恐怖を感じたのでしょうか。
石地:一番怖かったのは、「高齢者に医療費がかかりすぎている」という論調です。本当に耳を塞ぎたい気持ちでした。 それから「外国人はルールを守らない」という排外主義。ターゲットを決め、徹底的に叩き続ける様子がすごく怖かったです。「女性は若いうちに子どもを産め」といった発言(※)もありました。
これらを一般人ではなく、国会議員になろうとする人たちが堂々と言っている事実にもの凄い恐怖を感じました。差別が国政レベルで「正しいこと」にされてしまったら、障害者は本当に殺されてしまう。そう思ったとき、頭をよぎったのはナチスの「T4作戦(障害者の虐殺計画)」でした。あの歴史が、今まさに目の前まで迫っていると感じたんです。
でも、怖いからと黙ってはいられません。障害のある自分の身体をオープンに見せ、仲間を集結させて、「おかしい」「私を殺すな」と言い続けなければいけない、と思いました。
(※)参政党の神谷宗幣代表は2025年7月3日、東京都内で行った街頭演説で、「子どもを産めるのも若い女性しかいない。高齢の女性は子どもは産めない」と発言。
──選挙を経た今も、その恐怖感は変わらず抱いているのでしょうか。
石地:変わらず抱いています。むしろ、どんどん酷くなっていると感じています。
選挙活動が行われるたびに、本当に耳を塞ぎたくなります。見たくない、聞きたくないと思いながら、どうやって気分転換をしようか、どうやって「おかしい」と周囲に伝えていこうかと、それだけで頭がいっぱいになってしまうんです。
「私はこの先、生きていけるだろうか」「介助の保障は守られるだろうか」「もし病気になって病院に行った時、私の命の優先順位はうんと下にされてしまうのではないか」という恐怖が、今も常に付きまとっています。
刊行から1年、呼応の連鎖
──今年5月末に刊行された雑誌『部落解放』(2026年6月号 887号)では、熊本さんが責任編集を務め、「部落フェミニズム」の特集が組まれました。改めて、この特集を組んだ意図と内容を教えてください。
熊本:石地さんのお話を聞きながら、本を作る過程もその後の場も、女性たちの「ピアカウンセリングの場」であり、フェミニズムの実践そのものだったと改めて思いました。
『部落フェミニズム』は、一冊の本で完結するものとは考えていません。あの本が生み出した様々な問いや応答、波風をもう一度しっかりと受け止めたい、というところからこの特集を組みました。
刊行から1年が経ち、本がどう読まれ、どんな違和感や共鳴を生んだのか。石地さんや編集者の松尾さんたちによる座談会(※座談会参加者:石地かおるさん、松尾亜紀子さん、瀬戸徐映里奈さん、藤岡美恵子さん)を通して改めて考えています。また、5人の書き手がご自身や家族の経験を綴ったり、運動実践の現場から応答を寄せてくれたりしています。
中には、活動の場で「部落フェミニズム」と出会い直そうとしている方や、所属する組織名を出し、実名を開示して書いた方もいます。彼女は非常に葛藤した上で、「著者の側に立ちたい」という思いから実名を選ばれました。名前を開示して書くことで背負う負担があるのなら、たとえ何百分の一であっても一緒に分け合いたい。そういう熟慮のプロセスがありました。
今回、実名・仮名どちらの選択の背景にも、部落につながる女性たちが経験を語ることへの深い葛藤があります。「名前を出す重さ」も「出さない切実さ」も差別の構造と深く結びついており、個人の「勇気」や「覚悟」の問題に回収してはなりません。その選択の背景にある差別の現実を、読者のみなさんと一緒に考えたいのです。
また、ある読者からは、「部落女性」という中心を問う枠組み自体が別の周辺化を生んでしまうのではないか、という重要な問題提起もありました。対話はこれからも続いていきます。
フェミニズム内の「否認」と「揺らぎ」
──『部落解放』の座談会の中で、「既存のフェミニズムの中にさえ、部落女性をその他(エトセトラ)として周辺化してきた歴史がある」という指摘に対し、一部から「自分たちは無視していない」という「否認」の反応が届いたと語られていました。
熊本:この本を出した時に、「女性」というカテゴライズや枠組み自体が揺さぶられることに対する反応がありました。
ジェンダーという単一の軸だけで自らの位置や経験を語ってきた人にとって、そこに別の軸が重なることは、足元が揺さぶられる感覚なのだと思います。そして、その揺らぎに対する反応が、再び私たちを客体化し「主体」としての語りを否定していく何重もの「暴力」となって現れてしまう。「自分たちは聞いてきた」「無視していない」という反応それ自体が、実は「聞き取れていない」という暴力そのものであると、なかなか伝わらないもどかしさがあります。
ですが、これは今に始まったことではありません。100年以上前から、部落女性たちがどれだけ声を上げても聞かれず、諦めてしまったり、外ではなく当事者の仲間内だけで声を上げていく選択をせざるを得なかった歴史があります。今私たちが経験しているのは、まさにその歴史の繰り返しの追体験なのだと、皮肉ながら感じています。
しかし、私たちは揺さぶっているわけです。波風を立てている。そこにまだ希望や、次の対話への一歩があるのだと思います。現に、クィアの人たちから今回非常に大きな反響があったのですが、同じようにフェミニズムから「女」というカテゴリーを問われ、排除されてきた経験において、何か連帯を見出してくれたからだと思っています。
呼応を受け止め、交差させ、広げていく
──その「呼応」をテーマにしたのが、『エトセトラ VOL.15 特集:部落フェミニズムに呼応する』ですね。松尾さんは、この特集にどのような思いを込められましたか。
松尾:熊本さんたちがつくられた『部落解放』の特集と思いは同じですが、とにかく「届き始めた様々な呼応を何よりも大事にしたい」ということ、そして「これでは終わらない」という意志を示したかった、というのがあります。
部落にルーツを持つ方、クィア、トランスジェンダー、在日朝鮮人、コリアン、女性、障害者など、何らかのマイノリティ属性を持つ方たちが、本への感想とともに、これまで語ってこなかったご自身の複合差別の経験を語ってくれる。それは本当にすごいことで、同時にとても重たくて、大事なことです。だからこそ、著者たちと協力して、しっかりと記録として残していこうと思いました。
一方で、部落男性からの「『部落フェミニズム』は部落女性には難しくて、誰に向けて書かれているのか分からない」といった批判や、フェミニストからの「これまでも聞いてきた」という声もありました。けれど、「呼応」を記録として残せば、『部落フェミニズム』はこれからも交差しながら広がっていくだろうと思います。
そして、何より私のようなマジョリティに読んでほしいと思って作りました。誰もが自分自身がこの差別構造にどう組み込まれているのか、部落差別や複合差別を生み出してきた「権力関係」を問い直すきっかけになるのではないか。作り終えた今、そう思っています。
「興味がない」という言葉の暴力性
──『エトセトラ VOL.15』の中で、石地さんは住田理惠さん、鈴木由美さんのおふたりにインタビューをされています。
住田さんは先天性の骨発達不全、知的と視覚に障害があり、現在は西宮で車椅子を用いてアート活動をされている方。鈴木さんは脳性麻痺があり、12歳のときに優生保護法のもとで強制不妊手術を強いられ、現在は国に賠償を求めて裁判を闘う原告のおひとりです。
障害者運動の中にあるヒエラルキーの問題や、服装・髪型の選択肢さえ奪われてきた過去など、お話は多岐にわたりました。石地さんにとって、特に印象的だったのはどのようなことですか。
石地:まず由美さんですが、手術やその後の苦難のお話はこれまでに何度も聞いてきました。でも、その話が社会で大切に扱われていなかったり、運動の場でも「またその話が始まった」と冷ややかに言われてしまう場面を、私はたくさん見てきたんです。由美さんが置かれてきたそうした克明な現実を今回の雑誌で伝え、多くの人に知ってほしいという強い思いがありました。
理惠さんについては、知的障害があることで、実は障害者運動の内部でも周辺化され、大切にされなかったり「言っていることが分からない」と遠ざけられてしまう現実があります。でも理惠さんは、「知的障害者こそが社会の真ん中にいることが重要なのだ」と何度も繰り返し訴え、涙を流して「一緒に手伝ってほしい」と言われる。そのおふたりに光を当てることは本当に重要だと思っていました。
──石地さんは一貫して、「興味がなかった、知らなかった」と言えてしまうマジョリティ側の態度、その「興味のなさ」の持つ暴力性について訴えてこられました。抑圧する側が変わることの必要性について、改めて伺えますか。
石地:私はこれまでに、障害者の「自立生活の理念」について、それこそ何千回もしゃべらされてきました。
でも、語っても語っても、返ってくるのは「初めて聞きました」「知らない」という言葉なんです。当事者が何十年も話し続けてきたことを「ここまで知らない」と平気で言ってのけるマジョリティの姿勢が、本当に怖いと感じます。私はマジョリティに理解してもらえるように、言葉を選んで伝えてきました。「分からない」で終わらせず、「分かろう」とする努力をしてほしい。
今はインターネットもありますから、調べようと思えばいくらでも調べられます。それなのに、「興味がない」「関心がない」ということを、悪びれもせず「口にしてもいい」と思っている。その態度が、ものすごく腹立たしいのです。
部落差別についてもそうです。『部落フェミニズム』を出してすぐに「部落差別ってまだあるんですか?」と聞かれ、私は返す言葉がありませんでした。それがどれほど失礼なことか、その「まだあるの?」という問いかけ自体が差別であることも、聞いてくる側は分かっていないのです。
それがやっぱり、一番差別を温存させ続けているのだと思います。私ばかりが語るのではなく、マジョリティの側が知ろうとすること。どうやったら共に生きていけるか、どうやったら自分たちが差別を直視できるかを考えてほしい。
私がよく言うことに、「そんなことをいちいち説明させてないで、私の介助でも実際にやってみたらどう?」というのがあります。マイノリティの側が「説明する」という役割は、もう十分に果たし終えていると思うんです。次は、マジョリティの側が近づいてくる番です。そういう時が来ているのだということを、一番強く伝えたいです。
(2026.7.23 / 聞き手 安田菜津紀、 編集 佐藤慧)
※本記事は2026年6月3日に配信したRadio Dialogue「部落差別とフェミニズム」を元に編集したものです。
【プロフィール】
石地かおる(いしじ かおる)自立生活センターリングリング障害者スタッフ。24時間介助で地域での自立生活を実践中(私の介助者になりませんか?)。全国自立生活センター協議会ピア・カウンセリング委員会副委員長時代に全国の障害者にエンパワメントを伝える。40代半ばで女性であること、被差別部落にルーツがあることを自覚し、さらなるエンパワメントにチャレンジしている。
【大事に思っていること】優生思想撤廃、人権、差別をなくす取り組み、人とのつながり
【好きなこと】食べること、料理、スーパー巡り、音楽、推し活、旅、パズルゲーム。
熊本理抄(くまもと りさ)近畿大学人権問題研究所教員。人種、階級、ジェンダー、セクシュアリティが絡み合ってもたらす抑圧、その抑圧からの自由と解放を求める社会運動に関心がある。研究と運動の主たる現場は、日本、インド、米国、国連。主著に『被差別部落女性の主体性形成に関する研究』(2020年、解放出版社)がある。現在取り組んでいる活動と研究はもりだくさんで、隣保館を中心に行なわれる相談支援、学校における人権教育とジェンダー教育、主体性と関連するマイノリティ女性の学習と労働、同和対策事業等マイノリティを対象とした社会政策など。なかでもとくに聞き取りが大好き。生きてきた軌跡から社会構造に向き合いつづけたい。そしてものづくりが大好き。つぎの人生では職人になりたい。
松尾亜紀子(まつお あきこ)1977年長崎県生まれ。出版社勤務を経て、2018年フェミニスト出版社エトセトラブックスをはじめる。翌年雑誌『エトセトラ』を創刊。刊行書に『フェミニズムはみんなのもの』(ベル・フックス、堀田碧訳)、『小山さんノート』(小山さんノートワークショップ編)など。2021年、仲間たちと東京代田にエトセトラブックスBOOKSHOPを開く。「フラワーデモ」「私のからだデモ」呼びかけ人のひとり。好きなもの:登山、韓国料理、中島みゆき
【参考文献】
『部落フェミニズム』
熊本理抄 編著、藤岡美恵子・宮前千雅子・福岡ともみ・石地かおる・のぴこ・瀬戸徐映里奈・坂東希・川﨑那恵 著(エトセトラブックス)
『エトセトラ VOL.15 特集:部落フェミニズムに呼応する』
エトセトラブックス編(エトセトラブックス)
Writerこの記事を書いたのは
Writer

フォトジャーナリスト / ライター佐藤慧Kei Sato
1982年岩手県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の代表。世界を変えるのはシステムではなく人間の精神的な成長であると信じ、紛争、貧困の問題、人間の思想とその可能性を追う。言葉と写真を駆使し、国籍−人種−宗教を超えて、人と人との心の繋がりを探求する。アフリカや中東、東ティモールなどを取材。東日本大震災以降、継続的に被災地の取材も行っている。著書に『しあわせの牛乳』(ポプラ社)、同書で第2回児童文芸ノンフィクション文学賞、『10分後に自分の世界が広がる手紙』〔全3巻〕(東洋館出版社)で第8回児童ペン賞ノンフィクション賞など受賞。
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