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『僕の狂ったフェミ彼女』刊行から7年―韓国フェミニズムの現在(ミン・ジヒョンさんインタビュー)
近年フェミニズムに関する様々なカルチャー作品が登場している韓国では、激しいバックラッシュも起きています。
女性やマイノリティの人権を軽視する家父長制や、有害な男性性の背景にあるものとは何かー。今年日本で映画化予定の小説『僕の狂ったフェミ彼女』の著者、ミン・ジヒョンさんと一緒に考えていきます。

Contents 目次
韓国と日本、小説への反響の違い

――ミン・ジヒョンさんの小説『僕の狂ったフェミ彼女』は2019年に韓国で出版され、その後2022年には日本でも翻訳版(加藤慧 翻訳、イースト・プレス)が刊行されました。 韓国での出版後は、ポジティブな反響と共にバッシングも大きかったそうですね。
ネットで活動するアンチフェミニストの男性たちを中心としたバッシングがすごかったのですが、ある程度予想はしていたものでした。
この本はタイトル(『僕の狂ったフェミ彼女』)だけではフェミニズムなのかアンチフェミなのか分からないところがあるからか、小説が出版された当初はそれほど激しいバッシングはなかったのですが、ウェブトゥーン版が公開されたタイミングで来るようになりました。
それと比較すると、日本での刊行後にバッシングを感じることはあまりなかったです。韓国で開催したブックトークでは、参加者はほとんどが女性で、男性は女性とカップルで来た人くらいだったのですが、日本では男性だけの参加者も結構いました。
印象的だったのは、一人で参加していた若い男性が、「最近ジェンダー問題が原因で彼女と喧嘩して別れてしまったのですが、たまたま見かけたこの本を読んで、自分が悪かったと感じました」と話してくれたことです。
それは私がこの小説を書いている時に想像していた「理想どおりの反応」だったのですが、そういう方と出会ったのは日本だけで、韓国ではありませんでした。
日本では、年配の男性読者もブックトークに来ていました。社会的な潮流としてフェミニズムについて知りたい方という印象でしたが、韓国ではそういう人にも直接会ったことはなかったです。
日本の読者にとっては海外文学なので、少し距離感があり、それゆえに男性にとっても拒否感なく読めたのかもしれないと思いました。

江南駅殺人事件とフェミニズムのうねり
――韓国では2016年に起こった「江南(カンナム)駅殺人事件* 」をきっかけに、フェミニズムが大きなうねりとなっていきました。こうした時代背景は、ミンさんご自身や著作にどのような影響を与えましたか?
* 江南駅殺人事件…2016年5月、ソウル・江南駅近くのビルの男女共用トイレで、20代の女性が面識のない男性に殺害された事件。女性を無差別に狙ったフェミサイド(女性嫌悪殺人)であった可能性が指摘されると、女性たちから「被害者は自分だったかもしれない」という声が上がっていった。
江南駅殺人事件はとても衝撃的な事件でした。今思うと、この事件以前には「フェミニストとして」とか「フェミニズムにすごく共感している」という感覚や自覚が自分にはなかったかもしれません。
もちろん、女性として生きることで受ける「何か嫌な感じ」というのはありました。韓国の教育熱が高い地域では、10代の女性は「女性」であることより先に「学生」として勉強することを求められます。しかし、大学生になると突然社会から「女性」として評価され始めたのを感じました。
社会に出たあともセクハラや、男性とのつき合いに違和感があったのですが、「自分は運が悪くて、おかしい男性とばかりつき合ってるのかな」とか「私の性格が問題なのかな」と悩んでいました。
私はパートナーシップが大事な人間で、ヘテロセクシャル(異性愛者)なので、男性との関係性を作っていく必要があり、難しさを感じていました。
それが江南駅事件のあと、ネット上で高まった女性たちの発言などを見て、今まで感じていた違和感が私だけのものではなく、社会構造の問題だったことに気づきました。
また、当時の韓国では「非婚」とか「非恋愛」といったイシューが話題だったのですが、私の場合、それを選択することはできなかったので、罪悪感というか自分を責めるような気持ちになったりもしました。
でも、私みたいな、「色々気づいてはいるけれど、仕方なく男性との関係を求める女性」の立場も絶対にあるはずなのに、それをあまり言えない雰囲気があるなと。友達同士でも簡単には言えなかったので。
結婚や恋愛を強制されてきた女性たちにとっては、そこから解放されることが本当に大事だったのだと思いますが、「それでも男性と恋愛したい自分はどうすればいいんだ?」という、その思いを物語として書きたいと思ったのです。
「フェミニストは性的なものを嫌う」?
――『僕の狂ったフェミ彼女』は、彼氏である「僕」、キム・スンジュンの視点で書かれており、彼に刷り込まれている家父長制やミソジニーが皮肉として描かれています。たとえば「僕」は「フェミニストは性的なものを忌避するものだ」と考えて、「彼女」をその型にはめようとします。フェミニストを型にはめたがる男性について、どう考えていますか?
韓国では男性たちが、「フェミニストはブサイク」「男性に人気がないから、フェミニストになった」という勝手なフェミ像をつくって、ネットで共有しています。
この小説が一番非難されたのも、「主人公がフェミなのに綺麗で、男性から愛されている」というものでした。
キム・スンジュンがそれなりによい男性として描かれていることもあり、「こんな男性に愛されているフェミニストなんて、フェミの妄想だ」という非難がたくさん来ました。
でも、今の若い韓国の女性で、家父長制に全面的に賛成だという人はあまりいないと思います。この社会自体が変わっているのに、むしろ一部の男性たちのほうが妄想をしています。それに対して、「周りはみんなフェミだよ。あなたが知らないだけ」と言いたかった気持ちもあります。
「フェミニストは性的なものを嫌う」というのも、ある意味での偏見です。韓国ではゲームなどでの女性の過度な身体表現にフェミニストが批判の声をあげたことに対して、政府機関の「女性家族部」が進めたゲームへの規制と結びつけた反発が、男性たちから起こりました。
その時に男性コミュニティで流行ったデマが、「女性家族部が性器を連想させるとして『テトリス』(落ちてくるブロックを並べて行を消していくゲーム)を禁止した」というものです。いかにもありそうなデマですが、これを事実だと信じている人も多いんですね。
歪んだ認識と、性関連のゲームやAVなどの「以前からあった自分たちの権利を奪っていくのがフェミたちだ」という被害意識が背景にあると思います。
――小説では「僕」の同級生たちが集まる結婚式の会場で、「彼女」がブチ切れる場面がありますね。
やめてくれ、頼むから。何も言わないで。
テレパシーを送る気持ちで、渾身の力で彼女に合図した。しかし結局彼女は口を開いてしまった。
「いや、女の子だろうが男の子だろうが、あなたが産むわけじゃないですよね。最初の子もまだ産まれてないのにそんな話するのって……おかしくないですか?」
(『僕の狂ったフェミ彼女』p.271)
この場面の後、同級生たちのパートナーの女性たちが自分の意見を言い始めます。「彼女」の言葉をきっかけに「おかしいのは自分じゃなかったかもしれない」と女性たちが気づく。本を出すこともそうだと思いますが、こうした言葉の意味をどう考えていますか?
この本にはリトマス試験紙のようなところがあり、読解力がない読者だと、主人公のキム・スンジュンの言葉にそのまま共感して、そういう主旨のレビューを書く人もいたりと(笑)、読者自身のジェンダーに対する感性が出るのだと思います。
韓国の女性の読者から一番多かった感想は、「自分の元彼が書いたのかと思った」とか「こんな目で自分を見ていたのかと思った」というものです。あるいは「タイトルから、もっと狂った行動をするかと期待したのに、結構普通だった」「自分とあまり変わらなかった」というものもありました。
これに比べると、日本の女性読者からの感想には、「勇気を持って自分の考えを言うこと」にエンパワーメントされたとか、自分もそうなりたい、学びたいといったものが多かったかもしれません。
やはり韓国の場合、フェミニズムに元々関心が高い読者が多く、「私と一緒だ」という感想が多かった一方、日本の場合はもう少し色々な立場の読者が多かったのかなと思います。

「じゃあ女性も兵役に行けよ」にどう返すか
――韓国でジェンダーの問題に取り組もうとした時に、決まり文句のように返ってくるのが「じゃあ女性も兵役に行けよ」という言葉だと思います。こういう返答について、どのように捉えていますか。
これは本当に定番の反応の一つですね。そもそも兵役自体に問題があり、なくしてほしいと私も思っています。兵役を維持しているのは、女性たちの意思ではありません。
国や制度、そしてまだ戦争があるこの世界のせいで兵役があるのだから、怒りをぶつけたり、徴兵される自分たちの人権を求めていくべきなのは、その責任を担う政府に対してであるはずです。それを女性たちに向けていくのは間違っていると思います。
男性にもこの点を伝えていこうとしているのですが、なかなか簡単にはいきません。男女の不平等があることや、女性が社会的な弱者であることについて、韓国の男性たちは「でも自分たちは兵役に行くから」で済ませてしまいます。
韓国では政治的に保守的な考えは男性に強いのですが、特に兵役に行く若い世代の男性からの反発が強いです。兵役の期間は短くなってきていますし、携帯の使用が可能になるなど以前より状況はよくなっていますが、特に若者に大きな影響を与えていると思います。
――日本では去年初めての女性首相が誕生した際に、女性に対して「ほら、嬉しいでしょ?」と揶揄するような言い方をしてくる右派の男性がいました。韓国ではかつて朴槿恵(パク・クネ)大統領が誕生した時に同じようなことがあったのでしょうか?
朴槿恵はかつての独裁者だった朴正煕(パク・チョンヒ)の娘であり、その後継者という位置付けだったので、女性を代表する人とは見られておらず、初の女性大統領となったことはアイロニーと感じられていたと思います。
そして、朴槿恵の弾劾裁判のきっかけとなった事件では、その周囲にいて力を持っていた人物(親友であり、国政に関与していたとされる崔順実(チェ・スンシル))もまた女性でした。弾劾を求めるデモでは、二人の女性性をけなすキャッチコピーもたくさん耳に入ってきました。
朴槿恵が悪いとしても、女性だということでこんな形で非難されるのは、自分も女性だから気分がよくないという戸惑いを感じました。その当時はデモをしている人たちも、そこまで配慮できていなかったと思います。
それから数年後の尹錫悦(ユン・ソンニョル)の弾劾デモでは、配偶者の金建希(キム・ゴンヒ)に対する批判も多かったものの、デモの主催者側が女性性に対する批判はやめましょうとする雰囲気がありました。
舞台に上がっての自由発言でも、若い女性たちがフェミニストとして今の状況に関する意見を言える雰囲気があり、それは以前にはなかったもので、安心感がありました。
韓国における性的マイノリティ
――このインタビューを行っているのは、ソウルのプライドパレードの前日です。韓国における性的マイノリティの権利や環境について、どのように見ていますか?
全体として近年で進んだ部分が確かにあるとは感じつつ、「差別禁止法」がまだ法律としては成立していないという状態には問題を感じています。
たとえば同性婚などの同性パートナーシップは保障されていないですし、文学や映画、報道などで社会的な議論はなされているのに進んでいません。政治家は「社会的な合意が必要」という言葉で説明しますが、たとえば世論調査では50%以上が必要だとしている結果も出ています。
韓国はキリスト教の影響が強く、最近の尹錫悦の応援集会など、保守は特にそうです。キリスト教は同性愛を聖書で禁じていると解釈する宗派もあり、強い反感があります。
最近では、海外で結婚してから戻ってきて夫婦として生活しているレズビアンの方や、海外で人工妊娠をして子どもを育てているレズビアンカップルなど、自分の生活をオープンにする人たちが増えていて、そういう方たちの存在が見えてきたのはよい変化だと思っています。
トランスジェンダーの芸能人が活躍しているのも、この何年かのことなので、一般の人たちの認識は良い方向に行っているのではないかと思います。
――男性が『僕の狂ったフェミ彼女』を読むと、自分の中の「トキシック・マスキュリニティ」(有害な男性性)を突きつけられるような感覚になります。韓国では男性の中から自らの加害性を見つめ直そうという風潮はあるのでしょうか。
男性でフェミニストとして活動している方や団体はありますが、今活動している男性作家については、韓国では本を読む人の多くが女性ということもあり、「書くのが難しい」とか「男性の自分は何を書けばいいのかわからない」という風潮があります。
これは韓国だけではなく、たとえばハン・ガンがノーベル文学賞をとるなど、フェミニズムに関係がある作品が注目されているのは全世界的な動きかもしれません。
男性作家の中でも読まれているのはクィア(標準的な性規範・異性愛規範に当てはまらない人々)を描いたもので、男性が目立つ小説などは人気がないかもしれないですね。でもそれは、有害な男性性を反省するという形にはつながっていないと思います。
「異性愛という脚本」を見直す

――ミンさんの2作目の長編小説『私の最高の彼氏とその彼女』(ミン・ジヒョン 著 / 加藤慧 翻訳、イースト・プレス、2023年)では、オープンリレーションシップを取り上げています。「お互いを独占せずに、他の人と関係性を持つことを許容すること」とされていますが、社会が求める「普通」とは何か、自然に覆していくような作品です。そういった葛藤を抱える人々に伝えたいことは何でしょうか。
私自身が違和感や内面の葛藤から2作の小説を書いたので、同じように感じている人に対しては、本当に「あなたのせいじゃない」と言いたいです。
『異性愛という悲劇』(ジェーン・ウォード著、安達眞弓訳、太田出版、2022年)という本に書かれていますが、異性愛というのは自然的なものではなく、実は発明されたものです。それにも関わらず、異性愛脚本(「男女の恋愛や性愛はこうあるべき」という行動規範や役割期待の型。異性愛スクリプト)を社会が決めていて、自然なものだと多くの人が思い込んでいます。
異性愛が発明されたのはアメリカで言うと19世紀から20世紀のことですが、当時は女性がひどく差別されていた時代だったので、女性を対等な恋愛相手として見ることは難しかった。女性蔑視の文化とおかしな出会い方をして形成された、「異性愛文化」というものが今も全世界的に定着しています。
それは特に女性にとっては決していいものではないということが、この本に明確に書かれていることです。
異性愛脚本から距離を置いて、自分に合う関係性をそれぞれが持つこと──それだけが唯一の方法だと私は思っていて、オープンリレーションシップもその事例の一つなんですね。
『異性愛という悲劇』の著者はレズビアンの方で、クィアの場合は社会的に認められている脚本がないので、それぞれ自分に合う付き合い方を発明しているから、異性愛よりも学ぶ部分があると言っています。
特に異性愛の女性の苦しさにとって、異性愛という脚本を見直すということは、とても大事だと思っています。

※本記事は2026年6月17日に配信したRadio Dialogue「韓国フェミニズムとマイノリティ」を元に編集したものです。
(2026.8.10 / 聞き手 安田菜津紀、 編集 伏見和子)
【プロフィール】
ミン・ジヒョン(みん じひょん)小説・ドラマ脚本・映画シナリオなどメディアを問わず幅広く活動する作家。2015年に大韓民国ストーリーコンテストで優秀賞を受賞。初の長編小説『僕の狂ったフェミ彼女』(2019年)が話題作となり、台湾・日本・中国など七か国語に翻訳される。邦訳作品に『私の最高の彼氏とその彼女』。今年2026年、『僕の狂ったフェミ彼女』がNetflix映画として実写化される。
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