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第7回:「私」の足元を見つめる―沖縄で繰り返される米軍関係者による性暴力について ―ローレンス吉孝の「あぎじゃびよ〜通信」

私は沖縄にかつて駐在した白人系の米軍属(調理師)の孫である。
そして米軍基地でハウスキーパーの仕事をしていた沖縄女性の孫でもある。
私はこの文章の最初のひと文をここから書き始めなければいけない。
米兵による沖縄女性への性暴力事件のニュースを見る度に、自分自身を成り立たせている背景、ルーツ、そして「血」そのものが私に突然向かってくる。
そして米軍という存在そのものに自分自身がつながっているという感覚。
この皮膚の中に「米軍の血が流れている」という感覚そのものが、とてつもない嫌悪と気持ち悪さの感覚を引き起こす。
この血管を流れている血そのものに恐怖を覚えたことすらある。
かつて、そういったことを先達の研究者に話してみたら、その人は私に、「先祖や民族などを表すための『血』という言葉は社会概念なのだから、そんなに気にする必要はない」と言った。
しかし、たとえ「血」という概念を脱構築(社会的・歴史的に構築されたものであることを明らかにすること)したとしても、私のこの感情は消えない。納得することはない。
それは自分自身なのだから。それは変えられないのだから。
わたしがわたしである、この存在の背景。
私は米軍関係者の「血」をひく孫なのだ。
沖縄で今もやまずに続いている米軍関係者による犯罪、特に沖縄女性に対する性暴力について綴っていくこの文章について、私はここから書き始めなければならない。

10月3日。那覇市内のホテルで沖縄の女性を殺害し所持品を奪ったとして、米軍海兵隊の男が翌日逮捕された。昨年3月に、米軍基地内のトイレで基地従業員の女性の首を絞めたうえで性的暴行を加え、それを止めようとした別の女性の顔を踏みつけた米兵による事件や、2023年12月に十六歳未満の少女の誘拐・暴行事件がまだ記憶に新しい中で今回の事件は起こった。
さらに、この事件の後、SNSでは被害者を責める二次加害の投稿が次々となされ、遺族らが精神的苦痛を経験している。
「深い悲しみ、ショック、後悔、怒り、恐怖、不安など、さまざまな気持ちを抱えながら、1日1日をやっとの思いで生活しています。(中略)彼女は命を奪われるだけでなく、亡くなった後も尊厳を傷つけられています。私たちは、彼女が2度も殺されたような、とても深い心の痛みを感じています」(琉球新報2026年10月14日公開記事『遺族「2度殺されたよう」 那覇ホテル強殺・米兵逮捕 ネット中傷に心境コメント』)
私が2024年12月に開催された「米兵による少女暴行事件に対する抗議と再発防止を求める沖縄県民大会」に参加した際も、大会後の会場前に極右の活動団体が車でやってきて拡声器で二次被害となる言葉を叫んでいた。
女性の被害や殺害、そして二次被害。暴力の連鎖。終わらない侵害。もうこんなことは絶対に終わらせないといけない。こんなに悲しく辛く怒りで震えるような出来事を一刻も早く終わらせないといけない。
この現実を続けている構造は何だ。
それは米軍基地という現実だ。
それを成り立たせる日本と米国の間でとりかわされた日米地位協定だ。
それを成り立たせている植民地主義だ。

10月18日。沖縄県男女共同参画センターてぃるるの図書資料室で、私は2002年に発行された『「軍事基地と女性」集会 報告書』(「軍事基地と女性」報告書編集委員会)を手にとった。
帝国日本による戦時性暴力や沖縄の米兵による性暴力などについて長年研究・活動を続けてきた浦崎成子さんが「沖縄の米軍基地と女性」というタイトルで講演を行なった記録が残っている。
この講演録を読んでいて驚いたことがあった。
2001年6月におきたショッピング街での米兵によるレイプ事件でも、その事件後に被害者に対して誹謗中傷が寄せられたというのだ。
「被害者は、週刊誌によって非難中傷されプライバシーもスキャンダラスに伝えられ、勤務先まで女性記者が追いかけてきた。それに対して、沖縄弁護士会は警告を出し、警察は彼女を週刊誌から警護し、『被害者に落ち度はない』と表明しました」
暴力の経験を蔑ろにする、被害者を責め立てる。暴力は二重・三重に繰り広げられる。
さらに、沖縄において超党派による9万人の抗議集会の契機となった3人の米兵による1995年の少女暴行事件を受けて、以下のように語られていた。
「米軍人の犯罪の度に『国土面積の0.6パーセントの沖縄に75パーセントの米軍基地が集中している』ことに対する日本政府の差別政策を思い知らされます。よき隣人と共存しているわけではないのですね。他府県より米兵の性暴力は沖縄に集中的に発生している」
ここには、沖縄における米兵の性暴力の背景に、米軍の存在そのものだけではなく日本政府の差別政策が明言されている。
沖縄は、沖縄の女性たち、子どもたちは、今でも日本から「捨て石」にされ続けているのだ。
米兵の事件が報道される時、それを見る「私たち」は、一体どの立場からこの事件を見るのだろうか。
この事件はどこか遠くで起こっている他人事の話ではないのだ。
自分自身の足元を見る必要がある。
自分自身が立っている位置はどこなのか。
浦崎さんは語る。
「『沖縄から安保がみえる』とか『沖縄は人権意識が高い』なんて沖縄に依拠しなくてもいいんです。沖縄の代弁者というか同調者が多い。自分の足元からちゃんとチェックしろよ、そしたら安保がみえるでしょ、と言いたいんです」
足元には何があるか。
自分たちが、何の上に、いま、立っているのか。
性暴力被害を受けた沖縄女性たちの数えきれない記録を読みながら、私はここに立っている。

(2026.10.30 / 執筆・写真 田口ローレンス吉孝)
Writerこの記事を書いたのは
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社会学者田口ローレンス吉孝Taguchi Lawrence Yoshitaka
専門は社会学・国際社会学。著書『「混血」と「日本人」 ―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』(青土社、2018年)、『「ハーフ」ってなんだろう? あなたと考えたいイメージと現実』(平凡社、2021年)。「ハーフ」や海外ルーツの人々の情報共有サイト「HAFU TALK」を共同運営。
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